2017年5月27日土曜日

アンティーク バカラ ローリエ BACCARAT LAURIER 


縦方向のリブと交互に規則的にリピートする月桂樹の葉がデザインされた20世紀初頭のトワレセット、ローリエ。20世紀初頭のカタログでは、すべて透明のものと、このローズ色と無色透明のコンビネーション品があります。


トレーにモールディング成形品のバカラマークあり。1875年以降製造です。

今回は香水瓶、化粧水瓶と小さなトレーの3点セットをを入手しました。
カタログページ


意匠の最も大事な部分がそのまま名前になった直接的なネーミング。
ローリエつまり月桂樹の学名はLaurus nobilis。
月桂樹の葉、ローリエはお肉や魚の煮込み料理の香味としても頻繁に使う身近な存在ですし、衣服の防虫剤として使用することも可能。リキュールを作る人もいますし、また薬用としても利用されます。が、そういう実用としてだけでなく、ヨーロッパの文化の中では象徴的で特別な意味を持つ木でもあります。


月桂樹のイラストWalther Otto Müller図画


まず、古代、ローリエはギリシャ神話の中のオリュンポス十二神の一人、光の神アポロンが勝利と詩の象徴の霊木と指定して、崇められていました。

月桂冠を持つアポロンが描かれた
「光と雄弁と詩歌と美術の神アポロンと天文の女神ウラーニア」
Apollo, God of Light, Eloquence, Poetry and the Fine Arts with Urania, Muse of Astronomy 
シャルル・メニエ Charles Meynier  (1768–1832) 画


また、古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(22/23年-79年 イタリアでは通称 ”Plinio IlVecchio” 「プリニオ老」の意)は、月桂樹の低木には雷は落ちないと皇帝に伝え、ローマ帝国二代目の皇帝ティベリウス(在位:紀元14年 - 37年)は災いから身を守る意味で月桂冠をかむるようになります。

少し脱線しますが、王冠の起源ですが、王冠は古代エジプトや古代ペルシャなどでヨーロッパより先に使用されていました。ヨーロッパで初めて王冠をかむったのはローマ帝国のコーンスタンティーヌス大帝(在位:306年 - 337年)がペルシア風の額帯を採用しました。

古代ギリシャ人や古代ローマ人は詩人やレース競技の勝者などに月桂樹の葉の付いた枝をリング状に編んだ冠、ローレル・リースつまり月桂冠を授与するようになります。


コンスタンティノープル競馬場のテオドシウスのオベリスクに施されたレリーフ。
レースの勝者に月桂冠を渡すローマ帝国の皇帝テオドシウス1世(347-395)
(トルコ・イスタンブール)



ドイツ・ベルリン戦勝記念塔
写真左©Nikolai Schwerg 写真右©Stefan Füsers
ティーアガルテンの中央部に立つ、高さ67メートルの石造の塔。
塔の頂上の勝利の女神ヴィクトリアが月桂冠を握っています。


古代ギリシアローマ時代には詩神アポロンにゆかりの月桂樹の編んだ冠が詩人にも授けられました。中世からルネサンスにかけてのイタリア人たちがこれに習い、ダンテ,ペトラルカ,タッソらが、その時代第一流の詩人として月桂冠を戴いきましたが、とりわけペトラルカはローマ元老院から「桂冠詩人」の称号を与えられます。


ラッファエロ画
月桂冠をかむる、イタリア古典文学最大の詩人、ダンテ・アリギエーリ。
アポロンは光の神だけでなく詩神でもありました。


17世紀以降の近代イギリスはこの習慣を国家の制度とし、イギリスでは王家が桂冠詩人(英語: イギリスの、ポエット・ローリイット)を任命、称号を与えるようになりました。 役割には特定の任務は伴いませんが、重要な国の行事のために詩を書くことが期待される、名誉的地位で、17世紀初頭から現在に至るまでに20人の桂冠詩人が指名されています。報酬は10年分の年金と数百本のシェリー酒だとか。
イギリスの歴代のpoet laureateはこちらでご覧ください。


現在、20代目のポエット・ローリイットCarol Ann Duffy キャロル・アン・ダフィー。
400年の歴史のポエット・ローリイットのなかで唯一の女性。初のスコットランド出身で初の同性愛者。グラスゴーの貧民街出身。1999年の選考にも候補に上がりますが、2009年からポエット・ローリイットになります。
優しいけど強く、叙情的でありながらユーモアのある彼女の詩の幾つかはスコティッシュ・ライブラリーのこのサイトでご覧いただけます。
http://www.scottishpoetrylibrary.org.uk/poetry/poets/carol-ann-duffy


ちなみに、ローリエはラテン語で laurus または laurĕaと言い、 現代イタリア語のLaurea(学位の意味)は laurĕaを語源としているため、イタリアの大学やフランスでも大学医学部などは卒業の際に月桂冠をかむる習慣が未だに残っています。



大学卒業式用の月桂冠
イタリアお花屋さんのHPから



2017年5月23日火曜日

アンティークバカラ 3458 BACCARAT 3458


20世紀初頭のカタログに確認することができるこのグラビュールのシリーズは1907年のカタログで3458という品番が付いています。1916年のカタログでは見つかりません。
でも、同じエッチングで1917年のスーベニールグラスなどもありますし、マークありの品もたまにあります。

丁度ベル・エポックの時代の製品ということになります。
ベル・エポックといえば初めに連想する様式はアール・ヌーボー、植物的で曲線的な装飾、という方も多いとおもいますが、この品はメアンドロ模様のような幾何学的なパターンのエッチングです。
メアンドロ模様の詳細はアテニィエンの項目をご覧ください。


1907年のカタログページ







製品番号だけで、名前の由来に関しては書けないので、この項目ではこの品の作られた時代ベルエポックの、アールヌーボー様式ではない側面について少し書きましょう。

ベル・エポック(Belle Époque、フランス語で「良き時代」の意)とは、主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのヨーロッパで戦争がなく、パリが繁栄した華やかな時代、またはその文化を回顧して使われる言葉です。
特に19世紀末頃は産業革命も進み、産業革命とそれに伴う消費の増加で生活の質が短期間に著しく向上した時期と言えます。
ボン・マルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになり、1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点であったと言われています。

裕福層の間で海水浴場や温泉地などへバカンス(ヴァケーション)に行く習慣ができたのもこのころと言われています。


ベルエポックを象徴する1900年のパリ万博

また日常生活を向上させたその時期の主な技術の革新や発明の代表例としては以下が挙げられます。

エジソン(アメリカ)による電球の発明(1879)と普及
マルコーニ(イタリア)によるラジオ発明(1899)と普及
メウッチ(イタリア)による最初の電話(1854)と普及
ライト兄弟(アメリカ)による世界初の飛行(1903)
自動車の大量生産とライン生産方式の導入(1908〜)
タイプライターの普及
Le Bon Marché(フランス)に代表される百貨店のような大規模店の繁盛
エスカレーターの発明(1890)と普及
映画の上映開始 


1887年のボン・マルシェ

まだ馬車のような自動車 プジョー製 タイプ3(1891)

エジソンとほぼ同時に映画を発明したフランスのリュミエール兄弟

リュミエール兄弟による世界初の映画上映のポスター(1896)


豊かな社会は芸術も豊かにするもの。絵画の分野ではモネ、ルノアール、ドガなどに代表される印象派の画家たち、ポスト印象派に区分され「近代絵画の父」と言われるセザンヌ、またポスターを芸術の域にまで高めた特筆されるべきロートレックなどもこの時代の代表的なアーティストと言えます。

ロートレックによるムーラン・ルージュのポスター(1881)
ベル・エポックと言えば直ぐにロートレックのポスターを連想する人も少なくないのではないでしょうか。


セザンヌ画 サント=ヴィクトワール山
セザンヌが幼少時代を過ごした南フランスのエクス=アン=プロヴァンスの山。
同じ山を何度か描いていますがこれは晩年の1904年の作


一方、応用芸術の分野では植物モチーフや曲線を多用したアール・ヌーボーが挙げられます。ガラス業界で言えばエミール・ガレのガラス器などがあり、ガレは1889年と1900年のパリの万博に大量のガラス器を出展してグランプリを受賞しています。が、このモデル、3458の項目には不似合いなので、ここでは割愛します。


一方文学では、ベルエポックといえば、プルースト(ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルーストValentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871年 - 1922年)が半生かけて書き上げた畢生の大作『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、20世紀西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられています。
初版の発行は第一次大戦後になりますが、語り手自身の生きた19世紀末からベル・エポック時代のフランス社会の諸相も同時に活写されている作品と言われています。

Otto Wegenerによるマルセル・プルースト ポートレート

失われた時を求めて』原稿の、著者による校正

2017年5月20日土曜日

アンティーク バカラ ローハン・エッチング デキャンタ色々 BACCARAT ROHAN VARIOUS DECANTERS

2018年7月24日更新



根強い人気でロングセラーのローハン・エッチングが施されたデキャンタには、時を経た分だけの色々な種類があります。

そこで今までに私の手元を通過した品のデータを元にまとめてみました。
これが全て、ということではないので今後また異なる品やサイズを入手しましたら更新します。

首下容量は左から1100ml、950ml、1100ml、900ml、800ml


本当のローハンが1931年にリリースされた当時のデキャンタはグラスを逆さにしたようなコロンとした形だったことが古いカタログで確認できます。その後、いつ頃からかわかりませんがシャトーブリアン・シリーズのデキャンタがローハンのセットとして売られるようになりました。

リリース当時のローハンシリーズのデキャンタ
小さめで大容量



リリース当時のカタログページ


古いローハンは雫型のデキャンタとセットになっているのもよく見かけます。
またコンブール、つまりロングステムのローハンは大半が雫型のデキャンタとセットになっています。

勝手な私の推測ではローハン以前にクラッシックなロングステム、つまりコンブールが存在していて、1928年リリースのミケランジェロの大ヒットを受けてショートステムのシェイプでデザインしたのが1931年リリースのローハンと考えるのが自然に思えます。

何故なら、現在では一般的にショートステムやノーステムのグラスををアールデコスタイルと呼んでいますが、アールデコを「アールデコ様式」とならしめた1925年のアールデコ展にバカラが出展したのはジェ・ッドーで、まだ従来のロングステムでした。


雫型のデキャンタ


では、どれが一番古いのでしょうか?
形状として最も古いのはこのタイプ。本体が1907年のカタログのリシュリーとほぼ同じで、面取りストッパーでローハンのエッチングが施されています。
長年バカラ製品を見てきていますがこのタイプは一度しか見たことがありません。
プロパー品だったのか特注品だったのかは不明です。


古い型のデキャンタに施されたローハンのエッチング


デキャンタの形としてはシャトーブリアン・シリーズのデキャンタも同型の別カットの品が1907年のカタログで確認できます。


シャトーブリアン・シリーズのデキャンタ
現行ローハンはこの形状のデキャンタがセットになっています。
古いものには首部にもエッチングが入っています。





とてもポピュラーな品としては、通称樽型ローハン、つまりグービューデキャンタ。
これもグラスのシェイプとコーディネートした形状です。


グービューデキャンタ



グービューデキャンタとグラスの形状はDany Sautot著のBaccarat Una manifacture francaiseにはエナメル彩のものが掲載されていて1921年のリリースとされています。

いつ頃ローハンのエッチングが施されて「グービュー」としてリリースされたかは不明です。色々、不明なことが多くて申し訳ありません。バカラの資料を管理している部署に過去のカタログの閲覧を申し込んだのですが、公開はしていないとのこと。

このシェイプのリリースは1921年



最後にもう一つ珍しいものをご紹介します。
1933年のカタログに登場するCHEVERNYというモデルの形状にローハンのエッチングが施されています。最近入手したこのタイプは大容量で首下までで1100ml。
とても実用的な印象のデキャンタです。




CHEVERNYでローハンエッチング
ワインだけでなく、水とかジュースなどを入れて大勢で使いたい品です。

長年バカラ製品を見てきていますがこのタイプは滅多に見かけません。
それでも別の場所で複数回は見たことがあるので、おそらく短い期間製造されたプロパー品だったのだと推測します。


2017年5月8日月曜日

アンティークバカラ アテニェン BACCARAT ATHIENIENNE



20世紀初頭のカタログに確認することができるこのグラビュールのシリーズはATHIENIENNE(アテニェン) つまり「アテネの」「アテネ風の」と名がついています。


1907年、1916年のカタログで、同じグラビュールでもカップ部や脚部など形状に変化をつけた色々なバリエーションが掲載されています。

これだけの形状のヴァリエーションが作られたということから当時の人気商品だったことがうかがわれます。

ローハン・パターンの生まれる直前の唐草連続模様のエッチングで人気商品、ということから、勝手な推測ですが、今でも大人気のローハンのエッチングパターンは、このアテネ風パターンから発展させたものかもしれないな、などと想像してしまいました。確認の術はありませんが。

今回はカップ部ゴンドラ型、脚部ストロー型のシャンパンクープのみ入手しました。


1907年のカタログ


1916年のカタログ




名前の由来
冒頭にも書いたようにATHIENIENNE(アテニェン) つまり「アテネの」「アテネ風の」と言う意味です。アテネとはもちろんギリシャの首都アテネのこと。
アテネの守護神アテナ



1800年頃のアテネの地図


アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアアリストテレスリュケイオンがあり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。
(日本語版ウィキペディア 「アテネ」より)

アテネのパノラマとアクロポリス
©Christophe Meneboeu

古代ギリシャの代表的な遺産パンテオン宮殿が有名ですが、アテネにはローマ帝国支配下のギリシャビザンティンの遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されています。


アテネ、アクロポリスにある エレクテイオンのカリアティード
© Thermos Porch


このグラビュールがアテニェン「アテネ風」と呼ばれたのは、唐草の連続模様がギリシャ文様ともよばれるメアンドロ文様からインスピレーションを得たからではないかと推測します。

メアンドロ文様とは、日本ではラーメンどんぶりに付いていて一般にラーメン模様と呼ばれているような連続模様ですが、発祥の地はギリシャだとされているのです。

典型的なメアンドロ文様



典型的なラーメン模様

一部にメアンドロ文様を施した古代ギリシャの壺
紀元前725-700年頃
Photo:©Jastrow

紀元前450-460年頃


また唐草模様(アラベスク)は、日本語版ウィキペディア 「唐草模様」によれば、
古代ギリシアの神殿などの遺跡でアカイア式円柱などに見られる 草の文様が唐草文様の原型であり、メソポタミアやエジプトから 各地に伝播したと考えられている。日本には シルクロード経由で 伝わったとされているそうです。

イタリア ローマ アラ・パチスの唐草模様とメンアンドロ文様 
Photo: ©MM


シリア ダマスカスのウマイヤド・モスクの唐草模様
©Jan Smith