2017年6月21日水曜日

アンティーク バカラ キブロン BACCARAT QUIBERON


市松のエッチングと菱形のショートステムが魅力のキブロン。
アールデコ期の逸品です。
一見月並みな感じのする市松のエッチングですが、大胆な菱形のショートステムとのバランスが素晴らしく「流石バカラ」と唸らされ、実際に手にしてみると写真で見るよりずっとかっこいいグラスです。

カタログページ



名前の由来:
キブロン (Quiberon、ブルトン語: Kiberen)はブルターニュ地域圏 、モルビアン県の町 。キブロン半島の南端。
陸繋島キブロンQuiberon
この土地の歴史は先史時代にまでさかのぼることが可能ですが、特に1882年 にオーレーとキブロン間に鉄道が敷かれた後、ブルターニュらしい美しい自然の優雅な観光リゾート地として脚光を浴びます。
それまでは伝統的な漁業、缶詰製造、海藻利用が産業の中心だった土地が、19世紀末から20世紀初頭にかけて、リゾート地としてアルフ ォンス・ドーデ、ギュスターヴ・フローベール、アナトール・フランスといった著名小説家やベル・エポックの大女優サラ・ベルナールなどの著 名人たちがキブロンへ休暇にやってくるようになり、土地は急に華やかになります。
1924年のは、町が避暑リゾート地と分類指定されたことから、キブロン湾にとって記念すべき年となります。
バカラ製品のキブロンはアールデコのモデルなので、丁度この時期のキブロンのイメージで名付けられたのでしょう。
バカラには他にも、リドやオステンデの様に当時きっての流行のリゾート地の名前の付けられた製品が幾つかあります。
Photo©Remi Jouan
キブロン海辺に並ぶ別荘








キブロンを好んだ作家
ギュスターヴ・フローベール









キブロンを愛したベル・エポックの大女優
サラ・ベルナール

Photo©fifienvoyage
トゥルポー城(chateau turpault )
ジョージ・トゥルポー・によって「海の城」の名で、島の南西端、コート・ソヴァージュの入り口に1904年に建設された比較的新しいお城ですが、立地も良く雰囲気もあり島の大切なランドマークとなっています。現在一般には「トゥルポー城」と呼ばれていて、私有のため一般公開はしていません。

フランスの鉄道サイトで調べたところ、現在のキブロンまでの交通は、AURY(オーリー)までパリのモンパルナス駅からTGVで約3時間半、AURY(オーリー)、からはバスになり1時間12分で到着します。
*****
キブロン (Quiberon、ブルトン語: Kiberen)は、昔は陸地から離れた島でしたが、森林伐採による砂がキブロン 湾に向かってせり 出していき、ブル ターニュ本土と キ ブロン島との間に陸繋島になりました。
キブロンの歴史は古くキブロン周辺には、先史時代から人が定住していたと見られ、ドルメン、メンヒルといった新石器時代から金属器時代初期にかけて支石墓の巨石群が残っています。

Photo©
Yannickvallee
キブロンのメンヒル
キブロンのドルメン

この地が歴史的にフランスの中で重要な意味を持つようになったのは、1747年にパンティエーブル公がキブロンに砦を建設してからになります。
砦建設の7年後に勃発する七年戦争(1756-1763)の間、キブロン湾はフランスとイギリスの艦 隊が戦ったキブロン湾の海戦の地となります。特に1759年11月のキブロン湾の海戦は23隻の戦列艦からなるイギリス艦隊が、21隻の戦列艦からなるフランス艦隊を捕捉し、激しい戦いの末、そのほとんどを沈め、捕獲し、あるいは座礁させ、イギリス側の死者は300-400人に対しフランス側は2500人と、イギリス海軍にとって最も輝かしい勝利の一つと言われています。
バカラ製品にはCharmes, Lodi, Magentaなどフランス軍の圧勝した歴史的な戦いの地もモデル名になっていますが、キブロンの戦いはフランス軍惨敗だったので、やはりこのモデルの名前の由来としては、優雅なリゾート地キブロンの名をとったと解釈したほうが良いと判断します。
キブロン湾の海戦

またキブロンでは、フラ ンス革命中の1795年7月、キブロンには亡命したフラ ンス王党派が集まり、イギリスの支援を受けてキブロン上陸作戦が行われます。伝統的にブルターニュが王党側であったことからキブロンが選ばれましたが、王党派の内部対立も手伝い、侵攻作戦は革命軍に退けられ6千人以上が逮捕、7百人以上の王統派が射殺される結果となります。

コート・ソヴァージュ(野生海岸の意)のブルターニュらしい力強い自然風景
Photo©gordium2013

Photo092-©Maxouse

Photo©heidib871

キブロンの美しい夕焼け

2017年6月9日金曜日

アンティーク バカラ コート プレート BCCARAT CÔTES PLATES JAMBE PRISME E BOUTON


写真のモデルは、1907年のカタログを見ますとモデル名、、、というかモデルを指定する記述は
Forme GONDOLE  Jambe prisme e bouton
Taille: Côtes plates
直訳すると
形:ゴンドラ型 脚:プリズムとボタン 
カット:コート プレート (フラット・リブの意)


ゴンドラ型 プリズムとボタン脚 コート プレートカットの1907年のカタログページ。

1916年の同じコート プレートでもシェイプののヴァリエーションがあります。
写真の品は一番上


同型のフジェールとの比較
カットを施す為やや肉厚に吹かれています


ゴンドラ型 脚:プリズムとボタンという記述はジュドルグやフジェールと同じで、特にジュドルグの項で詳細を書いていますので、この項目ではコート プレート Côtes Platesについて、カタログ資料を中心に書くことにします。




Côtes platesコート プレートとはフラット・リブの意 フラットカットを施したものを一般的にCôtes platesコート プレートと呼びます 。

バカラ独自の製品名ではなく一般的な呼び方のようですので、サン・ルイやポ−チューなどでもカタログにCôtes platesコート プレートと明記されているものがあります。カットではなく型成形品のDuralexのガラスコップ、いわゆる最もフランスらしいガラスコップもやはりコート プレート=フラット・リブと呼ばれています。

コート プレートカットのサン・ルイ Caton




ポーチュー1930年カタログに他にも他にもいろいろなコート プレート カットの製品が掲載されています。

ポーチュー1930年カタログに見られるコート プレート カットの製品の例



また、有名なアルクールやマルメゾンなどもコート プレートの一種のCôtes Plates Larges (ラージ・フラット・リブの意)と分類されています。

バカラの1841年のカタログのアルクール カット:Côtes Plates Larges と書かれています。



サン・ルイのモデル「アンペア」も同じくCôtes Plates Larges カット



いわゆるフランスのガラスコップ原型とも言える型ガラスのコップももやはりコート プレートと呼ばれます。



Duralexのガラスコップ、フランスで最も一般的なコート プレート ガラスコップ。
カットではなく。型成形になります。




またフランスの有名な薬草系リキュール、アブサン用の特別な形状のグラスも、コートプレートが少なくありません。

アブサン用のグラス
画像はhttp://www.absintheoriginals.comより拝借しています。


アブサン用グラスとスプーン
Photo©Eric Litton
ちなみにアブサンはアルコール度が高く、グラスの上に渡した角砂糖をアブサンで湿らせて着火し、ミネラルウォーターを注いで消火し、アブサンスプーンでよく混ぜたものがクラシックな飲み方とされています。
そのために、独特の道具が用いられます。写真の様に球形の液溜めの上にグラス型の部分を乗せた独特な上げ底の脚付きグラスであり、液溜めの部分にだけアブサンを注いでから水を注ぐ。角砂糖を置くためにアブサンスプーンという穴が開いた装飾的なスプーンを使用する。水を滴下するために使用する水差しはカラフェやファウンテン、ブロウラー(ドリッパー)といったアブサン専用の独特な形状の物が存在します。
カタログ画像を使わせていただいたAbsinthe Originals というサイトでは、それらの特殊なアンティークやヴィンテージのアブサン用関連品の専門サイトで、グラスだけでなく綺麗なアブサン用の専用穴あきスプーンやポスターなど、とても面白いのでアンティーク食器マニアの方には是非オススメです。お値段も「良い」ですけど。。



またニットで凸部に幅のある編み方もコート プレートと呼ぶ様です。


コート プレート編みのクッション
写真はhttp://chezmymy79.canalblog.comより


コート プレート編みの子供用靴下
写真はwww.cyrillus.frより