2018年6月26日火曜日

アンティーク バカラ エグランチエ ローズ トワレセット BACCARAT E’GLANTIER

2020年11月11日更新


1900年前後に製造されていたバカラのトワレセットで数あるアールヌーボー期のトワレセットの中でも、カメオガラスと呼ばれる大変凝った意匠と技法で制作された豪華なアイテムです。
カメオガラスというとエミール・ガレなどの作品が有名ですが、バカラのカメオガラス製品はガレのような手彫りではなくアシッド・エッチングにて掘っていて、エッチングの地紋のテクスチャーが入ります。
ちなみにバカラは1880年代よりこのアシッド・エッチングを用いたカメオガラス製品を発表しています。


置いておくだけでその周りが一つの世界を作ってしまうような品で、非常に希少であることから現在も高額で取引されている品であることも納得できてしまいます。。

透明ガラスの上に色ガラスを被せ、色ガラスを掘るいわゆるカメオガラス技法で、野ばらの一種「犬バラ」の柄が描かれていて、一般的にE’GLANTIER ROSE  エグランチエ ローズ (エグランティェ ローズ)と呼ばれています。カタログに掲載された正式名称はE’GLANTIER  エグランチエ でローズは入りません。











実はこの手彫りではなくアシッド・エッチングにて掘るカメオグラスのことをイタリアでは falso cameo「偽カメオ」と呼びます。「偽」って聞こえが悪いですが本当のカメオグラスって?と調べてみましたら、エミールガレなどより1700年も先に作られたとされるカメオグラスがイタリアポンペイで発掘されています。

素晴らしいですね。これが本物カメオグラスならくアシッド・エッチングで掘る工業化されたカメオグラスは 「偽カメオ」仕方ないかもしれません。。。

ナポリ考古学博物館所蔵
青のカメオグラス
想定制作年 紀元1世紀頃


名前の由来

エグランティェローズ (E’GLANTIER ROSE)とは一般的に犬バラ、ローザ・カニーナ(犬のバラの意)とも呼ばれるバラの原種の一つ。夜間に香りが強くなるといいます。



ゲーテの詩の「野ばら」のモデルにもなっています。
ゲーテの詩の「野ばら」は多くの作曲家が曲をつけていますが、中でも有名なシューベルトの曲。


シューベルトの「野ばら」の楽譜


ところでなぜ犬バラ、犬のバラと呼ばれるかに関しては栽培種のバラと比べて価値 が低いという説と、古代ローマ帝国の賢者プリニオ老が狂犬病の治療に有効としていたためと言われていますが、その効能については真偽のほどは定かではありません。

何れにしてもバカラのトワレセットの中でも最も高級なラグジュアリーラインであったこの商品のデコレーションの意匠がゴージャスな大輪のバラではなく、素朴で見逃してしまいそうな野ばらであるというのも面白いと思います。

犬バラの果実ローズヒップははビタミンCを多く含みシロップ、ジャム、ハーブティー、スキンケアの他、ビタミンC補給のサプリメントなどに加工されています。

2018年6月7日木曜日

アンティークバカラ ピェ・ドゥファン BACCARAT SUR PIED DAUPHIN





19世紀末期のバカラのカタログに見られるドルフィン型ペデスタルのアイテムです。現物を入手したわけではないのですが最近綺麗な画像を複数入手する機会がありブログに追加することにしました。

1893年のカタログでは
2ページにわたり、このドルフィン型ペデスタルの器が掲載されています。他に現物画像にあるようにキャンドル、スタンドやランプなども製造されていました。




1893年のカタログページ




カタログページのタイトルはCoupes sur pied Dauphin直訳するとドルフィン型ペデスタル上 クープですがこれ、どう見てもドルフィン=イルカではありません。

フランスアールヌーヴォー期にはこの種のデコレーションの施された品物が他にもいろいろ製造されていたようで、フランスのアールヌーヴォースタイルとつい思いがちですが、これアールヌーヴォーの装飾の中でもジャポネスク・スタイルだったということを裏付ける資料を見つけました。

昨年ミラノの中央図書館での展示で見つけたフランスのアールヌーヴォー期の月刊雑誌 Le Japon Artistique (1888-1891年発行) 鯱 つまり「シャチホコ」の紹介ページ見つけたのです。実存しない空想の動物はきっと当時のフランス人の好奇心をそそったに違いありません。




シャチホコは日本では一般的に本来 は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを 織田信長が安土城天主の装 飾に取り入り使用したことで普及したといわれていますが、起源をさらに辿ればスタイルからも想像できるように中国から伝わってきています。中国語版ウィキペディアによれば中国の漢時代 (前漢 紀元前206年 - 8年と後漢 25年 - 220年)に宮殿屋根の尾根の両端に、火災を防ぐためにこのような形状の胸部動物を設置するようになったと言います。この奇妙な動物は中国古代の伝説の奇妙な鳥であると言う説と、海の魚の竜の9人の息子の1人であるとだとする二説に分かれます。 明と清の王朝では、大規模シャチホコが宮殿建設のために使るようになります。

日本語版ウィキペディアによれば日本へは仏教建築とともに伝わったようですが、大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされたました。建物 が火事の際には水を噴き出して火を消すといわれていますので、火事のお守りという意味合いは中国からそのまま伝わったことになります。


Photo©Terumasa
時代によって変遷してきた姫路城のシャチホコ