2022年10月13日木曜日

カラーケア LA CURA DI COLORI - ovvero, seconda vita dei calici art deco-

 


購入したグラスは自分で持って帰ってくるのが一番ですが、どうしても送ってもらわなければいけない時は、梱包方法のマニュアルとグラスが個包になるようにサイズのごとの箱を送り梱包してもらいます。それでも輸送中乱暴に扱われるためいくつか壊れて届くことがあり、その度に悲しく痛いような気持ちになります。



写真は通常の学校カリキュラム外の子供の教育に無償で取り組むNPOの活動資金を作るためチャリティーオークションにかけるアートワークの提供を依頼され、寄贈したグラス3客。


ミケランジェロ、ローハン、ルリのオリジナルな修復プロジェクト、もしくは、アール・デコのグラスの第二の命、とでも呼びましょうか。


以前は捨てていた壊れグラスを再構築して、亀裂部分は金継ぎの代わりに色とりどりのエナメルの点描で仕上げました。


今週月曜、ミラノのサザビーズでオークションがあり、ハンマープライスは3客セットで 1100ユーロ、現在のレートだと約16万円で落札されました。

売り上げは全額、オーガナイザーのNPOメルクリオ アソシエーションに寄付されます。


もしも割れたままだったら、捨てざるを得なかったグラスのかけらが、二度目の命を得て気に入ってくれた人の手に渡り大切にされるというのは、また収益が慈善事業のために有効に利用されるというのは、売り上げが自分の収入にならなくても嬉しいものです。


2022年10月10日月曜日

サン・ルイ ジャージー SAINT LOUIS JERSEY

 サン・ルイ ジャージー SAINT LOUIS JERSEYは1986年リリースのヴィンテージものです。

ヴィンテージの家具を扱っている友人が、今パリでは1980年代の家具が大ブームとか。。。だから仕入れたという訳ではないのですが。。たまたま。。。


サン・ルイのJERSEY(ジャージー)


サン・ルイのJERSEY(ジャージー)



サイズ表




名前の由来


ジャージー(JERSEY)と聞くとフィットなニットの生地ジャージーを連想する人が大半だと思いますが、元々はジャージー島の漁師の作業服に使用されていた布(ニット)なのでまずは、島に関することをから書き始めます。


ジャージー島はイギリスとフランスの間にある島。



ジャージー島


地図


ジャージー島



 地図にも見られるように、距離的には圧倒的にフランスに近いのですが、イギリス国王を国家元首とし、でもUK連合王国には入っていない微妙な土地です。正式にはジャージー代官管轄区 Bailiwick of Jersey)と呼ばれています。

位置的には 、イギリスとフランスの間で長年複雑な政治状態にであ田だろう事は歴史を読まずとも想像できますね。


 歴史的には9世紀から海賊の活動が活発で、993年ブリターニュ公国から、フランス ノルマンディー公の支配下となり、その後ノルマンディー公がイングランドを征服(1066年)したことでイギリス領となります。

そしてそのイングランド王兼ノルマンディー公 1204年フランス国王からノルマンディー地方を剥奪された際に、なぜか(すみません、調られず)ジャージー島はイングランド王領のままに留まり、それ以 来、ジャージー島は歴代イギリス王室の直轄地となっているのだそうです。 


 冒頭にも書いたようにジャージーの名が有名なのはフィットなニットの生地ジャージーだと思いますが、元々はジャージー島の漁師の作業服に使用されていた無骨な布(ニット)をハイファッションに初めて起用したのは、かのココ・シャネルでした。1920年代のことでした。


ストレッチの布などのない時代、スポーツウエアや着心地の良い、動きやすいスポーティーなファッションとして大人気を博したのでした。


ココ・シャネル名言

「贅沢というのは快適でなければいけない。そうでなければ贅沢ではない。」



ココ・シャネルデザインのスポーツウエアwww.gettyimages.it
このほかテニスウエアなどにも多く使われました。



ココ・シャネルデザインのスポーティーなファッション 1920年代 www.gettyimages.it



ココ・シャネルデザインのジャージーのスーツ 1950年代 www.gettyimages.it




また、ホルスタインに次いで二番目に世界に広がっている乳牛ジャージー種もジャージー島が起源とされています。

乳牛ジャージー種