2022年2月20日日曜日

アンティークバカラ ポンパドール BACCARAT POMPADOUR


シャンパンクープグラス 直径94mm  H=128mm

満水容量160ml




アンティークバカラ  ポンパドール BACCARAT POMPADOUR コーヒーカップセット

カップ 最大直径:70mm、口径:66mm   高さ:55mm 最大幅(取手付)97mm

満水容量:170ml





有名なポンパドール夫人の名の付いた有名なモデルです。
極めて珍しいコーヒカップ&ソーサーをミラノの古道具屋で見つけたのでこの項目を追加することにします。


美し過ぎる取手部分ディテール

ポンパドールエッチングは複数のシェイプに使用されていました。

カップの形状のカタログページ



ポンパドゥール夫人

フランソワ・ブーシェ画 (1755)


ポンパドール夫人といえば、そう、美しく教養のあるルイ15世公妾としてつとに有名。

今でも公妾といえばポンパドール夫人を一番最初に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。


ポンパドール夫人は本名ジャ ンヌ=アントワネット・ポワソ ( Jeanne-Antoinette Poisson, 1721-1764) 銀行家の娘として生まれ、平民とい う身分ながら裕福なブルジョワ階級 の娘として貴族の子女以上の教 育を受けて育ちます。 20歳で結婚後、一流サロンに出入りするようになり当時きっての知識人のフォントネルやヴォルテール、モンテスキューなどと知り合いルイ15世の公妾になった後も交流を続けることになります。



ヴォルテール肖像画 ・ モンテスキュー肖像画


ポンパドール夫人の結婚3年後の23歳の時、美貌の愛妾の死で落胆していたルイ15世の目に止まり、24歳になる年に正式に公妾になります。公妾になったポンパドール夫人はあちこちに 邸宅を建てさせます。現大統領官邸エリゼ宮は彼女の 邸宅のひとつですし、マリーアントワネットが引きこもった有名なプチトリアノン宮殿は元はルイ15世がポンパドゥール夫 人のために建てさせたものでしたが、彼女の生前には完成しなかったのです。 



ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神ディアーナ仕立てのポンパドゥール夫人
Jean-Marc Nattier画 (1746年画)



ハンサムで愛人は多かったものの、内気で政治には関心が薄かったと言われるルイ15

バカラ はルイ15世の許可を得て創業します。

同じくJean-Marc Nattier画 (1746年画)

ルイ15世と同名のバカラの製品に関する詳細はこちらをご覧下さい。

http://galleria-kajorica.blogspot.com/2020/01/15baccarat-louis-xv.html



ルイ15世がジャ ンヌ=アントワネット・ポワソン、後のポンパドール夫人に出会った
仮面舞踏会




とはいえ浪費だけでなく政治に関心の薄いルイ15 世に代わって権勢を振るうようにな ります。1756年には、オーストリア のマリア・テレジア、 ロシアのエリザヴェータ と通じ反プロイセン包囲 網を結成し3枚のペチコート作戦を遂行します。特に宿敵オーストリアとの和解は 外交革命と言われるほど画期的であり、和解のために後年マリー・アントワ ネットがフランス王室に嫁ぐこととなります。 



ポンパドゥール夫人

Maurice Quentin de La Tour画 (1749-1755)


アラブの女王風のポンパドゥール夫人

C. van Loo



ポンパドール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ、 サロンを 開いてヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家と親交を結びました。また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、様々な芸術家とも交流しました。ポンパドゥール夫人の時代は フランスを中心に優雅なロココ様式の発達した時 代になりました。 


30歳を越えたころからルイ15世と寝室を共にする ことはなくなったものの、代わりに自分の息のかかっ た女性を紹介したとのこと。ルイ15世はポンパドゥール夫 人が42歳でヴェルサイユで亡くなるまで寵愛し続 けたといいます。 




因みに、フランスでは ソーサー型シャンパングラス、所謂シャンパンクープグラスの原型は、ポンパドゥール夫人の胸を 模したもので、胸フェチだったルイ15世を喜ばせようとガラス 職人に注文、製造させたというのが通説です。本当のところはポンパドゥール夫人の登場より一世紀前の1663年にスパークリングワインやシャンパンを飲むためにイングランドで作られたというのがイギリス人の主張する説ですが、ポンパドゥール夫人の胸と思ったほうが女性の私でも面白いですし(笑)もしかしたらクープグラスはイングランドからフランスには伝わらず、フランスでは本当にポンパドゥール夫人の胸を 模して始まったのかもしれません。


シャンパンクープグラスはその誕生から1970年代に至るまでフランスで愛されていたほか、アメリカでは1930年代から1980年代まで流行していたそうです。


クープグラスはフルートグラスよりも香りを感じ取りやすいけれども炭酸がすぐに抜けてしまうという甲乙ありのグラスですが、個人的にはシャンパンやスプマンテはクープグラスでなければ、贅沢さが感じられない。特に何かのお祝いの時には絶対クープグラスでなければと思いこんでいます。

なので家庭から直接や仲買を通して購入したセットで入荷したグラス類のクープグラスが12客無傷で揃っていたりすると、この家庭ではもしかしたらお祝い事が少なかったのかしら、と心配になってしまたりもします。(笑