2016年1月31日日曜日

アンティーク バカラ ジュドルグ BACCARAT JEUX D'ORGUE DE COTE CREUSES


白ワイン用 ジュドルグ
直径 62mm 高さ121mm
満水容量140ml


1907年のバカラカタログの冒頭に、製品のタイポロジー全種類を見せるページにこのモデルの図案が使われている程、当時のバカラを代表するモデルです。

1907年のバカラカタログの冒頭

モデルの名称ですが1907年のカタログを見ますとモデル名、、、というかモデルを指定する記述は
Forme GONDOLE  Jambe prisme e bouton
TailleJeux d'orgue  de cote creuses

これを直訳すると
形:ゴンドラ型 脚:プリズムとボタン 
カット:窪みリブのオルガンパイプ

ゴンドラが太い大文字で書かれていますが、普通略式のモデル名はカット、グラヴュール、エッチング等のデコレーションで他の同型モデルと区別するのでこのモデルは「Jeux d'orgue  de cote creusesになります。 直訳すると「窪みリブのオルガンパイプ」。。。でもその直訳も、またフランス語の発音を全部カタカナ表記するのも冗長なので、独断で「オルガンリブ」とでも意訳しようかと思いましたが英語を使いたくないので「オルガンのパイプ」の部分だけ取り「ジュドルグ」と呼ぶ事にします。

英語を使いたくない、、、実は日本で浸透している「オールド」バカラという呼び方も好きではありません。日本のどこかのサイトで「、、、それらの古いバカラをオールドバカラと呼ぶ。」などと書いてありましたが、一体どこで誰がそう決めたの?と言いたくなります。きっと誰かがフランス語のancient baccarat を直訳したのでしょう。判り易いのは理解出来ますが、フランスの古いものを扱うのに「オールド」ではラテン系文化独特の雰囲気が乱暴に一掃されてしまう気がします。
とはいってもフランス語では判らない人も多いと思い、英語でも「アンティーク」を使用しています。アンティークの語源はラテン語 ”antiqua”なので違和感が少ないのです。

一般的なアンティークの定義では100年は経過していないとアンティークと呼ぶべきではないのは知っていますが、技術的にはほぼ変わらないのに1910年に作られたものはアンティークで 1930年に作られたものはそうでない、というのも変な話だと思うのです。ですので私は1962年にバカラがカタログを大幅にリノヴェーション、現代化するまでの製品をアンティークバカラと呼ぶことにしています。

ジュドルグ=Jeux d'orgue は直訳すると「オルガンの遊び」とか「オルガンの演奏」とも訳せますが、色々調べましたら楽器の専門用語でフランス語ではパイプオルガンのパイプの部分を指す様です

日本ではJeux d'orgues と最後にSをつけて書かれている方が多いですが、パイプ=Jeuxは複数なので複数形ですがオルガン=orgueは一台ですから単数形で、Sは入れないのが正しいフランス語表記になります。

確かに実際こう訳してこのカットを見直してみると、パイプオルガンにインスピレーションを得ていると判ります。多分今まで気がつかなかったのはパイプオルガンというのは大抵見上げる様な位置に大きなスケールで設置されているのに、このカットはグラスの下部に控えめに施されているからでしょう。

但私、フランス語も楽器も専門ではないので、詳しい方、もしも間違えやベターな呼び方がありましたらご教授頂ければ幸甚です。

1907年のバカラカタログのページ

カディスの大聖堂の大パイプオルガン ©Duomaxw

「ジュドルグ」Jeux d'orgue (オルガンのパイプ)のディテール



一方、大文字で書かれている形状の「ゴンドラ型」ですが、同年のカタログ内には異なる形状でも同様に「ゴンドラ型」と呼ばれている品が複数があり、その複数の「ゴンドラ型」に共通する点はカップ部分が滑らかな流線形(逆卵型)であることです。

ゴンドラ型の定義に関しては以下のリンクをご参照下さい。

因みにこの「forme GONDOLE  Jambe prisme e bouton=形:ゴンドラ型 脚:プリズムとボタン」-実際に使ってみると非常に持ち易く使い易いのですが- これと全くの同型で別パターン(デコレーション)の代表的なモデルには他にフジェールがあります。フジェールリンクはこちら。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
”似てるけど違うもの” 
(新設:よく似ている品の違いの解説コーナーです)

上の写真2点は一見ゴンドラ型のジュドルグによく似ています。
が、左はバカラのRenaissance。右はサンルイの(Saint Louis)のLianeというモデルです。

見分け方は、Renaissance、Lianeともカップの口がやや窄まっています。
またRenaissanceは脚部が逆転していてカットは全て長さが同じです。
Lianeは脚部もカットが長短あるところもよく似ていますがカットの先端が尖っています。

2016年1月10日日曜日

アンティークバカラ シャルム BACCARAT CHARMES


2017年5月15日更新
 Photo©Galleria Kajorica


一見シンプルで実は制作の大変難しいカットが全体に施されたこのシャルムと言うモデル、アールデコ期のバカラの代表的なデザインでもあり、またタイムレスで現在も古さを感じさせない魅力があります。

複数のレンズを並べた様に反復して周囲が映り込むカットが非常に美しい逸品です。

前から一度使ってみたかったモデルで、ウォーターゴブレットは大振りで一見手に馴染まないかの様に見えますが、実際に使ってみると想像以上に満足度が高く、私のグラス・ランキングのかなり上位の方にエントリーしました。


比較的肉厚なので、薄めのアシッドエッチングのモデルに比べ普段使いにも適しています。



私はこんな風に重ねて仕舞っています。重なった状態も綺麗です。


またSサイズをお求めになった方の奥様は向付にお使いになられるとのお話。
確かに皆口広で少し厚めなので食器としての使用にも適します。SやMサイズは向付、Lサイズやシャンパンクープはアイスクリーム、ヨーグルトやフルーツポンチなどに向いています。




名前の由来
Charme, Charmesという言葉はラテン語のcarmen=歌、呪文とcarpinus=魅力」から派生した言葉で、英語も同意同つずりで魅力(チャーム)の他に魔法という意味もあります。

でももしも魅力とか魔法とかいう意味で付けられたのだとしたらバカラのネーミングとしてはちょっと異色です。

なぜってアンティークやヴィンテージのバカラのネーミングは歴史上の人物や歴史のある町にちなんだりすることが多く、抽象的な概念の名前というのはほとんどないからです。
その所謂「教養のあるネーミング」のおかげでこのブログも成り立っていると言っても過言ではありません。
名前の由来を調べていると次々と歴史上重要なエピソードが出てきてとても勉強になります。そう、このブログに書いていることは持っている知識だけで書いているのでなくその都度いろいろ調べているのですが、知るという行為自体が楽しくてバカラにかこつけた雑学ブログになってしまっています。

少し脱線しましたが名前の由来の話に戻りますと、もちろん魅力(チャーム)と、魔法という意味にも二重にかけているのかもしれませんが、シャルムが掲載されている1933年版のカタログページを見ると、同じページのモデル名は他にTOURAINE MAGENTA LODI  CHAMPAUBERT MARIGNANAと全て地名です。なのでこのモデル名のシャルムも地名ではないかと仮定して調べてみました。

まずはCHARMSだけで調べましたら特記すべき歴史の記述すらない村や小さな町が4つフランス国内でヒットしてきました。中にはバカラ村から西に30kmの町 Charmes-sur-Moselleという町もあり古代ローマ時代のカストルムラテン語castrum -城の語源 - と呼ばれる、軍事防衛拠点)もあったらしいのですが現存する遺跡もなく、特記すべき歴史もなく、それではバカラらしくないように思います。


更にいろいろ調べたところ、きっとこれなのではというのが見つかりました。

ローヌ=アルプ地域圏にCharmes-sur-l’Herbasse シャルム•スルエルバスという非常に古い町がありシャルム城というルイ11世に縁のあるお城があります。
そこに因んでいるのではないかと推測します。あくまでも推測ですそれが一番バカラのネーミングらしい気がします。
こじつけだ!と仰る方は魅力とか魔法の意味を採用して下さい:)

シャルム•スルエルバスのエピソード詳細はアイテム紹介の後をご覧下さい。


2016年2月20日加筆訂正

、、、と長々とシャルム•スルエルバスの事を書いてしまいましたが、同じページのモデル名は他にTOURAINE MAGENTA LODI  CHAMPAUBERT MARIGNANAと全て地名。中でもMAGENTAはイタリア ミラノの郊外の人口2万人程度の町。ミラノに住んでいる私でも取り立て話題に上るのを聞いた事のない町なのに何故バカラの製品名になったのかがずっと頭に引っかかっていました。そして先日ひょんなことからBattaglia di Magenta(マジェンタの戦いの意)という言葉を目にし、調べてみると1859年ナポレオン3世率いるフランス帝国とのちにイタリア国王となるヴィットリオ•エマヌエレ2世率いるサルデニヤ王国 の連合軍が当時事実上北イタリアのロンバルディアとベネト州を治めていたオーストリア帝国に勝った戦いがあったのです。

目鱗!!


で、さらに調べてみるとCHARMS、LODI 、CHAMPAUBERT など全て歴史的な戦いがありました(で地名が戦いの名になっている、、日本で言えば「関ヶ原の戦い」の様に)それも全てフランス軍が勝った戦いばかり。。。(実にフランス的)。。。もしかしたらフランス人ならすぐわかる事なのかもしれません。いかにもヨーロッパ文化に詳しいふりをしていて、こんな事もわからなかったなんて反省です。


というわけでこのシャルムも第一次世界対戦の初め頃1914年にシャルム•スル•ムゼル(Charmes-sur-Moselle)付近でフランス軍がドイツ帝国相手に戦った「シャルムの戦い」の事を指しているという事になります。「シャルムの戦い」についてはまた時間のあるときに加筆します。取り急ぎ訂正まで!


シャルム•スルエルバスに関してはせっかく書いたのでここまま残しておきます:)



シャルムの戦いのスキーム








Photo©Luger 13
シャルム=スル=エルバスのシャルム城 

ローヌ=アルプ地域圏のシャルム=スル=エルバス現在は住人920人のごく小さな町(村?)ですが歴史のある町です。

西暦1000年以前はカール大帝の軍隊の将校出身で後にウィーンの大主教そして聖人になるベルナールロマンの所有する土地でした。


この土地に1160年から1300年にかけて住んだNerpolI一族が現存するシャルム城を建設します。

この城にまつわるエピソードとして特記すべきなのは、地方の弱小一族だったNerpolI家の子孫の一人であるアンベール・デ・バタルネー(Imbert de Bathernay)が少年時代に偶然このシャルム城で即位前に狩猟に来ていたルイ11世に出会います。(ルイ11世とアンベールが出会った年は諸説あり1655年という説と1663年という説があります)これがきっかけでアンベールは将来のルイ11世とすっかり親しくなり、バイヤン、ディオ、ヴェルコールなど周辺の森での絶好の狩猟の助手兼パートナーとなり、様々なスパイ行為や陰謀、秘密を明かされるほどの信頼を得て、アンベールは将来の国王の最高のお気に入りになります。

アンベールは次期国王より様々の贈り物、土地、城からの収入などだけでなくシャルムを含む多くの土地の貴族の称号、ブシャジェ男爵号、モン・サン・ミッシェルの監理の権利など様々な特権を手に入れ、また王室の子供達の教育をまかされたために次世代の王達とも密接な関係が出来、ルイ11世だけでなく、シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世まで四代にわたり最も信頼される王室の顧問となります。

そうして当時のフランスで最も裕福な貴族の一人となり後に財政難の王家にお金を貸すまでになったといいます。


アンベール・デ・バタルネーが顧問となったフランスの王達
左からルイ11世、シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世

シャルム城はアンベールの死後、甥のルネが相続した後何度か転売された後、1652年に近辺の町とともにシャルムを手に入れたグルノーブル議会の顧問でルイ14世の財務大臣フーケ(Fouquet セビーヌ=セヴィニェの項では言い及びませんでしたが、この人大変なプレーボーイだったそうでセヴィニェ夫人にも沢山のラブレターを送っています。 )の友人でもあるジャック・コスト(Jacques Coste の所有となります。

ジャック・コストは城の大規模の修復と内装、装飾を行います。

その後シャルム城はジャックの息子ジャック・ブランジャー・グア(Jacques Beranger Gua)から1776年ペランの貴族シャブリエ・ロシュ(Chabrières Roche)の手に渡り彼が最後のシャルム城の貴族となります。

その後は一時泥棒や不法侵入者等にに荒らされていた時期もあったそうですが、現在は改装され、あるウェブサイトによると、近い将来売りに出るという話もあるそうです。

Photo©Arcyon37
横たわったアンベール・デ・バタルネーの彫像

私はヨーロッパに住んでいるのでこういう中世の歴史なども案外身近に感じることが出来るのでですが、日本からこのブログを見られる方には中世のフランスの話は時間も場所も遠すぎるかもしれません。



そこでもう一人、比較的最近でこの土地にまつわる興味深い人物のお話を加筆します。

Charmes-sur-l’Herbasse シャルム=スル=エルバス出身の有名(?!)人にフェルディナン・シュヴァルという風変わりな人物がいます。私はシュヴァル作の建設物「理想宮」(Le Palais idéal) のことを、つい数年前にパリに住む建築家の友人がFACEBOOKに載せた写真で初めて知りましたし、シャルム生まれである事はこの記事の下調べで知りました。

フェルディナン•シュヴァルの理想宮

1836年シャルム生まれのフェルディナン•シュヴァル(通称ファクター•シュヴァル)は13歳で学校を中退しパン屋の見習いをしていましたが長男の誕生をきっかけににシャルムにほど近いオートリーブで郵便配達夫になります。
1879年のある日ソロバン玉が重なったような奇妙な形をした石につまずきます。その石から何らかのインスピレーションを得たシュヴァルは、以降、仕事が終わると石を拾いにいき、オートリーブの自宅の庭先に積み上げるという行為を続け、その後33年かけて彼の「理想宮」を建設します。

シュヴァルと彼の「理想宮」は近隣の人々に変人とそのヘンテコな創作物と認識されていましたが、シュヴァルの没後、シュールレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンが称賛し詩を作成したり、ドイツの彫刻家マックス•エルンストや巨匠パブロ•ピカソも高く評価したため徐々にジャーナリスムにも取り上げられるようになり 現在ではフランス政府により国の重要建造物に指定され、修復も行われ、世界各国から見物客も訪れるようになっています。

最近ではマニアックな旅ブログ等で必見名所にあげている人までいます。

建築や美術評論家の間では素朴派(アート•ナイーフ)、あるいはアウトサイダー•アートに分類されています。


シュヴァルは建築にも施工にも何の基礎知識もなかったといいますが、この感じ、きちんとした建築の教育を受けていたなら「フランスのガウディ」のような存在になっていても不思議はなかったかもしれない、と言ったら。。。言い過ぎでしょうか?
 Photo©Pabix

 Photo©Pabix
郵便配達の制服姿のフェルディナン•シュヴァル

シュヴァル自身は、理想宮には居住せず、地下に墓所を造り、家族と一緒に「エジプトのファラオ」のように埋葬されることを望んでいたそうですが、教会や村人たちの反対で断念。村営墓地に、理想宮に似た(写真下)小規模な墓所を造りました。
Photo©Wikilug
「理想宮」に似せたシュヴァルの墓

因みに、理想宮のあるオートリーブ(Hauterives) までは鉄道駅Romans sur Isere (グルノーブルとヴァランスの間の)からバスが出ていて約50分で到着しますが、本数が少ないため(オートリーブ発は早朝のみ鉄道駅発は正午ごろと夕方のみ)現行の公共交通機関を利用の場合はオートリーブ1泊になってしまうようです。タクシーの場合は片道所要時間約25分35-40 Euro程度の様です。途中シャルムも通過します。
ただし、2016年1月の情報ですのでお出かけの方は出発時に最新の情報をご確認ください。






バカラ アルクール BACCARAT HARCOURT

2020年2月18日「映画とグラス」を追記しました。
Photo©Patrick Schuttler
Courtesy: Baccarat 

バカラのロングセラー&ベストセラーNo.1のこのモデル、非の打ち所がない完璧なデザインですね。
クラッシックなグラスのアーキタイプのシルエットで六面分割の大胆なフラットカットを施した形状は見方により古典的ともモダンとも見れます。光の屈折度の大きいクリスタルの特性をフルに生かした普遍的な美しさです。

また赤ワイン好きにはワインの色がグラスの中で屈折して映り、たまらない魅力です。


私もウォーターグラス、ワイングラス、シャンパンクープのセットを少数個持っていて、たまに気分を変えたい時に使います。写真は自分用のグラスです。



1841年リリースつまり175年生産され続けていて製造数も多く、またローハンシリーズの様にアンティークと新品での明らかな差というのも無いため、グラス類をオークション出品や販売の予定は今のところありません。

この項はモデルと名前の由来の紹介のみ、ネタが切れた時にブログに載せようと下書きを用意していたのですが、今回たまたま、現在製造されていない小型のデキャンタを入手したので、この機会にブログに公開する事にしました。まだ面白いエピソードなどが欠けているので、この先加筆するかもしれません。

名前の由来
このモデルが1825年アルクール公爵家の婚礼のためにこのデザインの原型が作られたのは有名な話。以来、ナポレオン三世以降はエリゼ宮をはじめ、世界の王族に使用されていて、さらに1917年にはローマ法皇ベネディクト十五世によってカソリックの総本山バチカンで使用するためにも選ばれています。

このアルクール、現在の完成された形になったのは1841の様です。実際バカラの1840年のカタログには完全に同形のものは見当たりませんが、1841年のカタログには現行品と全く同形のモデルがシリーズで登場しています。

1841年のカタログ この頃はまだアルクールという名前はついていません。



ヴィンテージバカラ アルクール 小型 デキャンタ訳有り
(新しいマークあり1970ー1990年製造)
Ø7.6cm H16.8cm- H20.7cm 

首下容量200ml強



ではアルクール家とはどんな貴族だったのでしょう。

アルクール家はバイキングを祖先とするノルマンディー地方の中世の有力な貴族でノルマンディーの公爵家でした。10世紀からノルマンディー地方を治める現存するフランス貴族の中では最も古い貴族の家系の一つです。そして同名の町があり、アルクール家の家紋と町の紋章は同一です。

アルクール家の家紋=アルクール町の紋章


アルクール家は現在は3つに枝分かれし、 フランスにはOlonde-Harcourt, d'Harcourt公爵家、 Harcourt-Beuvron家の二家とイギリスのVernon Harcourt伯爵家があります。

Sir Joshua Reynoldsのエッチングで見るイギリスに定着したウイリアム=アルクーク伯爵三世、ジョージ・サイモン=アルクール伯爵二世、エリザベス・アルクール・バーノン伯爵


地元ノルマンディーには1100年に建設されたアルクール城が現存していますので、写真をご紹介します。
現存するアルクール城エントランス正面から Photo©Osbern


現存するアルクール城  Photo©Tango7174

アルクールは鉄道駅ブリヨン(Brionne)から西南西に約4kmの位置します。
パリからブリヨン(Brionne)へはパリ サン・ナザレ駅からロワン(Rouen)乗り換えで約2時間20分で到着します。  



映画とグラスのコーナーです。


このグラスは極めて有名なのにもかかわらず、あまり映画に登場しません。
今まで見たことがあったのはパゾリーニ監督の「ソドムの市」でだけでしたが場面がとてもグロテスクでこのブログにイメージを載せたくありませんでした。
パゾリーニは戦後イタリアを代表する知識人ですが、映画人として今一つというのが私観です。

先日友人宅の映画会でマーティン・スコッセーゼ監督の(日本語表記ではスコッセシ)「エイジ・オブ・イノセンス・汚れなき情事」(1993年)で登場したのでご紹介します。

1870年代のニューヨークの上流階級が舞台で絵画なども含めたインテリアの舞台セットが極めてゴージャスな映画で、クリスタル好きにはそれだけでも楽しめます。
クリスタル類は全てバカラが提供しているため、様々なモデルが登場します。
使用されているのはキャンドルスタンドなどの置物のほか、マルメゾン、コルベール、ジェノバ、アルクールとアルクール・エンパイヤー(アルクールに金彩)などです。


静かな食事場面アルクールが使用されています。


結婚準備の品々。ルッキーノ・ヴィスコンディの映画を思い出すようなゴージャスさです。


夫婦でパリに旅行した際に晩餐会で使用されているのはアルクール・エンパイヤー







クロード・シャブロル監督の1976年の映画 Folies bourgeoises (「狂ったブルジョワたち」日本未公開)でも愛人とベッドでシャンパンを飲むシーンにアルクールのフルートグラスが使われているので掲載します。























2016年1月1日金曜日

アンティーク バカラ リベリュル BACCARAT LIBELLULE

2017年4月29日更新

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は色々お世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
Photo@Galleria Kajorica

私はテーブルウエアの中でも食事中に使用するグラス類とデキャンタなどのマニアですが、新年ということで趣向を変えて非常に珍しい品をご紹介します。

蜻蛉型のお菓子皿。
形から名前を勝手に名前を  LIBELLULE(リベリュル=LIBELLULEはフランス語で蜻蛉の意)としていますが本当の製品名は不明です。

全体が蜻蛉の形状の透明吹きのガラスに色ガラスををきせ、蜻蛉に見える様なカットを裏側に施したボンボン皿(お菓子皿)。

ミラノで親しくしている女性建築家の居間の片隅の置かれているのをみつけ、ブログ用に写真を取らせてもらいました。

元々は彼女のおばあさんの持ち物でお母さんがとても大事にしていたというバカラマークが入る前の品で、私が指摘するまで友人はバカラ製品だと知りませんでした。

昨年一時帰国した際に京都の高名な古物商で同品の1980年代に製造された復刻品が80万円でしたので、オリジナルのこのお皿、市場に出たら一体どんな値段がつくのでしょうか?
友人にとってはお祖母さんとお母さんの思い出の詰まった愛着のある品、今まで手放すつもりはな買ったのですが、最近それなりのオファーがあれば手放しても良いという気持ちになっているそうです。ご興味のある方はヘッダーのアドレスまでご連絡ください。


Photo@Galleria Kajorica
上面から見て


Photo@Galleria Kajorica
いつも 置いてある居間の一角

Photo@Galleria Kajorica
食卓上で