2024年2月17日土曜日

アンティーク サンルイ アンヴェール 3053 SAINT LOUIS ANVERS 3053

 

とてもエレガントでいかにもサンルイ、という感じの品格の高い美しいグラスです。

1930年のサンルイのカタログに掲載されているモデルで希少な部類に属します。

独特のシェイプは気品に溢れています。


何かジュエリーに共通するような魅惑のあるグラスです。

だから世界で最もダイヤモンドの取引量の多いアントワープ=アンヴェールの名前がついたのでは?などと想像してしまいました。勝手な想像ですが。





上部から見たエッチングの美しさもこのモデルの大きな魅力の一つ




サイズリスト




1930年のサンルイのカタログ





<名前の由来>

フランス語でANVERS アンヴェールはオランダ語アントワーペン。

ベルギーではフランス語、フラマン語、オランダ語が使用されていますがアントワープではオランダ語が一般的な公用語。


地元の言葉ではありませんが英語ではアントワープ。


アントワープの街の景観



ベルギーの都市の中でブリュッセルに次ぐ大都市。

スヘルデ川の右岸に位置し内陸でありながら多くの船着場が整備され、欧州ではオランダのロッテルダムに次ぐ第二の港湾都市となっています。




現在のGoogleサテライトのスクリーンショット



・由来の名前の由来・


さて、このグラスの名はアンヴェール、アントワーペン=アントワープに由来していることには間違えありませんが、ではアンヴェール、アントワーペンという名前は一体何に由来しているのかというと、面白い伝説があります。


伝説によると、オランダ語の「アントウェルペン」という名前は、「手を投げる」という意味のハンド・ウェルペンという言葉から来ているのだと。


ローマの兵士シルヴィウス・ブラボーネが、ローマ時代に君臨していた巨人ドルオン・アンティグーンを殺害したことにちなみ、ブラボーネが巨人の手を切り落とし、この地で手をスヘルデ川に投げ込んだために「手を投げる」という意味のハンド・ウェルペンという街の名がついたと言われています。


でもこの通説となっている語源については専門家によっては異論があり、アントワープという名前は港の桟橋を指す aan het werpen に由来しているという説もあります。

ただこちらの説は平凡なので面白みがなく、アントワープの街には巨人の手を投げるシルヴィウス・ブラボーネの銅像があったりもするのです。



巨人の手を投げるシルヴィウス・ブラボーネの銅像



アントワープで最も古い建物ヘット・ステーン城

ヘット・ステーン (オランダ語「岩」の意) は、アントワープ市にある中世のお城で、およそ 1200 年から 1225 年の間に建設され1993 年に現在の形に改造された、市内で最も古い建物です。

アントワープ辺境伯の邸宅であり、1303年から1827年までの約五世紀の間は刑務所として使用されました。さらに、50 年以上 (1952 年から 2008 年まで)、国立航海博物館 (National Scheepvaartmuseum)になっていました。



1576年のスペイン軍の略奪中のアントワープ市庁舎放火事件



1740年のアントワープ地図





1811年5月2日アントワープで行われた、ナポレオンの立会い下のフリーランド号進水式

Jean-Pol GRANDMONT





アントワープで港湾都市機能以外に極めて有名なのは、ダイヤ産業。


ダイヤモンド研磨用の円盤 (Scaif) を発明したローデウィク・ファン・ベルケン (Lodewyk van Berken) もユダヤ系ベルギー人であり、この発明によってユダヤ人のダイヤモンドカット職人が多くなり、町もダイヤモンド取引とカット・研磨の中心として著名になりました。 


第二次世界大戦以降、市内のユダヤ人コミュニティ出身の各家族がダイヤ取引業界を一手に 取り仕切っていましたが、1990年代頃からはインド人・アルメニア人の業者も増えてきました。アントウェルペンにある「アントワープ・ワー ルド・ダイヤモンド・センター」(Antwerp World Diamond Centre, 前身は "Hoge Raad voor Diamant")は、ダイヤの品質基準の設定、業者の倫理の取り決め、職人の訓練、またダイヤ産業の中心地としてのアントウェルペンを広く宣伝することに大きな役割を果たしています。 


現在もアントワープはダイヤモンドの取引量で世界一の都市で、 ダイヤモンドの原石の85%、研磨済みダイヤモンドの50%、工業用ダイヤモンドの40%が、アントワープで取り引きされているそうです。





アンティーク サンルイ リベルティ (仮) SAINT LOUIS LIBERTY


アンティーク サンルイ アンヴェールのセットと一緒になっていたグラスです。


カップ部下方にペーズリーのようなエッチングが施され品格があるので、メジャーメーカーの品ではないかと調べたところ、 同じエッチングの品が1900年の サンルイ のけ高級品カタログの中の リベルティ(LIBERTY)という名で金彩ヴァージョンが掲載されていました。





バカラでもそうですが金彩を施された品と無彩の品では、同じエッチングでも名前も異なることが多いので別の名前があるのではないかとブログページのタイトルは「リベルティ (仮)」としてあります。


また金彩ヴァージョンは脚部も面取りのカットがされてありますが、この無彩の品は断面が丸のままです。


もしもこの無彩の品の正式名称をご存知の方がいらっしゃいましたらご教授いただければ幸甚です。




名前の由来


19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した、花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾をフランスでは「新しい芸術」を意味するアール・ヌーヴォーと呼びますが、イタリアではリベルティ様式と呼びます。

この呼び方はロンドンの高級百貨店リバティーに由来しています。


英語ではリバティーですが、アクセントは異なりますがフランス語でもリベルティと呼ぶようなので、名称はフランス語読みでリベルティと記載しました。



ロンドンの高級百貨店リバティー本店



イタリア人はフランス人にライバル意識を持っているから言葉をフランスから輸入しなかったのかと疑いましたが、実際にはフランスのアール・ヌーヴォー運動以前に19世紀のイギリスのヴィクトリア朝のアーツ・アンド・クラフツ運動としてデザイナーのウイリアム・モリスやジョン・ラスキンなどが似たような様式を先駆的に始めていて、フランスではそれを建築なども含めより広範囲に応用され発展させたたと言えます。



現在もリバティー百貨店のウエブ・サイトのヘッダーに使われている

ウイリアム・モリス(1834−1896)のテキスタイルの意匠。







ウイリアム・モリスによるテキスタイルデザイン


一方、カップ部下方にペーズリーのようなエッチングが施されているので、ペーズリーについても少し触れましょう。


日本語版のウイキペディアを見るとペーズリーの発祥地はインドかイランかアフガニスタンか不明であると書かれていますが、西欧ではペーズリーの発祥地はイランというのが通説です。



ペーズリーの名自体はペイズリーをあしらったカシミア・ショールの模造品がスコットランドのペイズリー 市で大量に生産されていたためにペイズリー 市の名前がついたのだそうです。



イランの木版ペーズリースタンプ




イラン旅行の際にイスパハン市で買った木版のテーブルクロス




イタリアでもコモ湖畔が本社の有名シルクメーカーのラッティ(Ratti)社が緻密なペイズリー模様のプリントでとても有名です。




リバティー百貨店は19世紀から現在に至るまでペイズリー模様プリントの製品を多く製造販売してきました。下の写真は現在のリバティー百貨店のサイトのペイズリー模様プリントのページ。


イタリアではアール・ヌーヴォー様式がリベルティー様式と呼ばれていることから色々遠回りをしましたが、おそらくこれがサンルイの製品名の本当の起源なのでしょう。