2015年7月9日木曜日

アンティーク サン ルイ クリュニー SAINT LOUIS CLUNY

2020年12月12日更新



©Galleria Kajorica
アンティークサンルイSt. Louis 金彩唐草クリュニー
直径6.3cm  H 10cm 宙吹きガラスの為一つずつ微妙に寸法が異なります。

満水容量100ml
小さめの白ワイングラスかデザートワイン用。日本酒にも良い大きさです。



ルイ クリュニーシャンパンクープグラス
サイズ:直径92mm, 高さ99mm

満水容量:約140ml

サン・ルイの有名な定番モデルのクリュニーのワイングラスです。
マークが入る前のアンティーク品になります。
 ふたつの吹きガラスを中央で繋げた典型的なヴェネツィアングラスのフォルムで、脚部にはコート・ヴェニシエンヌ*と呼ばれるリブが施され、 グラヴュールされたアラベスク模様に筆で金彩を付けているゴージャスなグラスです。
とても美しく、食器というより宝石の様な、お酒無しでもその美しさに酔ってしまいそうな酒器ですが、何故か非常に愛着の湧くモデルでもあります。
多くの国家元首や王家のテーブルに採用されて来た1889 年生まれの逸品です。このモデル は無地のものから、カップだけ色ガラスのものや、柄も色々ありますし、特注品のデコレーションを施した物等、様々なヴァリエーションが存在するサン・ルイの代表的なモデルです。
また金彩の入らない無地や脚部に金彩の入る物、入らないもの、特注の絵柄やイニシャル入り等様々なバリエーションがあります。下部写真は1930年のカタログです。
  
名前の由来
フランス、ブルゴーニュ地方に同名の町があります。クリュニーの修道院と呼ばれるとても有名な修道院があり、その典礼の壮麗なことでも知られていました。この小さくも華麗なグラスの名前はそこから取られているのでしょう。

このクリュニー修道院ではミサ等の儀式が荘厳だっただけでなく、生活も豪華で贅沢だったそうで、ちなみに、味も価格も「良い」事で有名なブルゴーニュの赤ワイン ロマネ・コンティのぶどう畑は、クリュニー会派の修道院が開墾したのがはじまりで、16世紀まで同修道院の所有だったそうです。また「もう1つのモンラッシェ」と称されるマコン村の白ワインの畑もクリュニー会派の修道院が開墾したものだとのこと。

このグラスにはそんな高級ワインも実に、似合いそうですね。


サン・ルイ 1930年カタログ

現存するクリュニー修道院 全盛期の1/10程度の大きさ
名前の由来詳細:
フランス、ブルゴーニュ地方に同名の町があります。
人口4600人程度の小さな町ですが、クリュニーの修道院と呼ばれる(正式名称はサン・ピエール・エ・サン・ポール・ドゥ・クリュニー修道院 Abbaye de Saint-Pierre et Saint-Paul de Cluny)というとても有名な、十世紀初頭に建設された修道院があり、クリュニー修道院は、中世にクリュニー改革とよばれる修道会改革運動の中心となり、最盛期には管轄下におく修道院は1200にのぼり、修道士数は約2万だったといいます。またその典礼の壮麗なことでも知られていて、この小さくもゴージャスなグラスの名前はクリュニー会の華麗さにちなんでつけられたと考えていいでしょう。

クリュニー修道院の聖堂は三期に渡って建築され、第一期は初代院長ベルノーの指揮の元に915年から927年に掛けて建設されたと見られる小規模な聖堂。第二期その権勢に相応しいものが要求され981年から1040年に建設され、さらに1088年から1130年にかけ、始めに建設された物を取り壊し、クリュニーIIIと呼ばれる建物が建設されました。この建物の拡張は13世紀まで行われ、最終的な聖堂の大きさは入り口から後陣までの長さが約190メートル、高さが約40メートルという巨大なもので、ローマの サン・ピエトロ大聖堂が設立されるまでヨーロッパで最大の宗教建築物だったといいます。

このクリュニー修道院ではミサ等の儀式が荘厳だっただけでなく、生活も豪華で贅沢だったために質素な他派から反感を生んだり、離脱者が出たりして凋落をはじめフランス革命では特権階級だった聖職者(第一身分)も貴族階級(第二身分)とともに平民(第三身分)からの攻撃の標的となり、この修道院は破壊、放棄され、他の建造物の石材供給源になってしまったため、現存の建築物は聖堂南側の翼廊の一部だけで「クリュニーIII」の当初の面積の10%程度が残っているにすぎません。


パリの国立クリュニー中世美術館 ©NonOmnisMoriar

パリのクリュニー中世美術館は15世紀に建てられたクリュニー派パリのゲストハウス兼駐在所だった建物(L'Hotel de Cluny)が国立美術館になったものです。
特別展示室にある「貴婦人と一角獣」は特に有名です。

深紅と深いブルーという色が使われ、貴婦人と侍女、紋章を持った獅子と一角獣が描かれている六連作のタピスリーは有名です。一作目から五作目までは人間の五感を描いていますが、六作目「私が唯一ほしいもの」は不可思議で解釈は色々ですが、一般的には「愛」を表現しているのではないかと言われています。
パリの国立クリュニー中世美術館6連作のタピスリー 六作目は「私が唯一ほしいもの」


*コート・ヴェニシエンヌ(ヴェニス風リブの意)制作法
以前仕事(本業)でヴェネツィアのムラノ島のガラス工場を視察した時に見た方法は、はじめ吹きパイプの先に付けたガラスの塊をテクスチャーを付ける為の小さな型に入れ凹凸をつけます。その後本格的に吹くと、宙吹きの場合はリブが外側に、型吹の場合は表面は型の通りすべすべで、テクスチャーの凹凸が綺麗に内側に移るという作り方をします。
何故型吹きでも型に直接リブをつけないかと言うと、型にリブを付けると回し吹きが出来なくなり型の割れ目が目立って醜くなってしまうためと。この方式だと一つの型から色々なテクスチャーのグラスが出来るという利点があるからです。
リブのテクスチャーを付ける為の型。色々なタイプがあります。©Galleria Kajorica



アンティーク サン ルイ タルマ 899  SAINT LOUIS TALMA 899

2016年2月16日更新
©Galleria Kajorica


在庫状況や個々のコンディションはオークションページをご覧下さい。

アンティークのサンルイ(St. Louis)形状TALMAタルマ グラビュールデコレーション899のシリーズです。
TALMAタルマと名のつくモデルは同型で別のデコレーションの物もあり、1930年のカタログによると899がデコレーションの品番になります。

このグラビュールのデコレーションはサンルイの1908年のカタログにも確認出来ますが、ロングステムで全て揃ったセットは1930年のカタログに登場します。


スタイルとしてはアールヌーボー調でバカラ同様サンルイがマークを入れ始める前の1909-1935年の製造と想定します。

最近ヨーロッパのebayやヤフオクで、この899エッチングの品巧みな偽口実でBACCARAT製品と偽って出品するセラーを頻繁に見かけますが、これは20世紀初頭のサンルイのオリジナルのエッチングです。
クリスタルメーカーとしてはサン・ルイはバカラより老舗ですし、私の考えでは品質的にサン・ルイはバカラに全く劣らないと思います。また、このエッチングは同時期のバカラ製品同様美しいと思うので、嘘をつく必要等はなく胸を張ってサン・ルイだと言えると思いますが、ヤフオクだと変にバカラ編重傾向にあるためでしょうか。何れにしても入札者の立場では、バカラと言われて買ったものが別のメーカーの品だったというのは不愉快でしょうし、売り易いからとメーカー名を偽るのは詐欺と大差なくモラルに反すると思います。

因に、このタイプのエッチング技術をバカラが採用したのは1864年ですが、サンルイが製品に取り入れたのは1870年。
モチーフとしてはサンルイの1900年初頭 のスタイルです。


バカラ、サン・ルイ、ヴァル・サン・ランベール合併期間は3社の歴史を読んでも各自、自社のことしか書かず、少し判り難いので、この機会に纏めておきます。


サン・ルイとヴァル・サン・ランベールが合併されたのは1802年。1806年に一度倒産したバカラはその後も炉を守り、1816年にサンルイと合併します。

ヴァル・サン・ランベールが再び単独のベルギーの有限会社となったのは1826年。

サン・ルイが単独の株式会社として独立するのは1829年。

その2年後1831年からサン・ルイとバカラは流通面等での提携をし、そのジョイント・ヴェンチャーが完全に終了するのは1857年のことです。

バカラとサン・ルイだけみると長い二社の歴史の中で10年あまりの合併期間は非常に短い様に思えますが、バカラはその間にクリスタルの重要なノウハウをサン・ルイ、ヴァル・サン・ランベールから獲得することになり、最初のクリスタルの炉をバカラが開くのは合併した年の11月になります。

参考文献:L'Histoire de Baccarat、Baccarat、サン・ルイ公式ウェブサイト、バカラ公式ウェブサイト、ヴァル・サン・ランベール公式ウェブサイト、Wikipedia他)




名前の由来
TALMAというのは人物名でフランスまたはオランダの苗字です。(フランスにタルマという町もありますが地名のタルマはTALMASと最後にSが入ります。)著名人も複数いるので誰に因んだんかは不明ですが、このモデルが出来る前の有名人では18-19世紀の舞台俳優フランソワ=ジョゼフ・タルマ(François Joseph Talma1763-1826)がいますし「コインの女王」と異名をとった手品師マリー・アン・フォード(1861–1944)の芸名もTALMAでした。

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©Galleria Kajorica
アンティークSt. Louis サンルイTALMA899 ワイングラスS
直径5.2cm  H 11.5cm
(サンルイマーク無し1935年以前製造)
満水容量 90ml
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©Galleria Kajorica
アンティークSt. Louis サンルイTALMA899 ワイングラスM
直径5.6cm  H 12.6cm
(サンルイマーク無し1935年以前製造)
満水容量 120ml
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©Galleria Kajorica
アンティークSt. Louis サンルイTALMA899 シャンパンクープグラス
直径9.2cm  H 10.8cm
(サンルイマーク無し1935年以前製造)
満水容量 160ml

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©Galleria Kajorica
アンティークSt. Louis サンルイTALMA899ゴブレットL
直径7.3cm  H 16.2cm
(サンルイマーク無し1935年以前製造)
満水容量280ml
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18-19世紀に活躍した名優 フランソワ=ジョゼフ・タルマ

手品師TALMAとそのポスター

2015年7月8日水曜日

アンティーク サン ルイ ミカド 887 SAINT LOUIS MICADO

2019年10月31日更新

アンティークのサンルイ(St. Louis)型番がMICADOミカド
MICADOミカド と名のつくモデルは同型で別のデコレーションの物もあり、1930年のカタログによると887がデコレーションの品番になります。
以前はデキャンタだけでしたがグラス主要サイズとデキャンタ2サイズをセットで入手しましたので改めてご紹介します。

©Galleria Kajorica

在庫状況や個々のコンディションはオークションページをご覧下さい。




スタイルとしてはアールヌーボー調ですが1908年のカタログに見つからず、1930年のカタログに登場します。

バカラ同様サンルイが腐食のマークを入れ始める前の1910-1935年の製造と想定します。














デキャンタのLサイズMサイズ


©Galleria Kajorica
こちらは以前入手して完売した。部分金彩の特注品 


1930年のカタログにはクリアクリスタルのものもグラビュール全てに金彩を施した物もあり、これはその中間の部分的にだけ金彩の入ったヴァージョンでとても上品な良い趣味です。
日本だとパーソナライズというとお名入れ程度ですが、ヨーロッパのブルジョワかそれ以上の家庭では、バカラやサンルイのプロパー品に手を加えて自分だけのモデルを持つというのはよくすることです。友人の指揮者の家庭でも音楽院の学長だったお父様の代から使っているバカラのMARIGANNEは、特注で脚部を断面で六角形にカットしたものでした。


アンティーク サン ルイ ミカド 887 
SAINT LOUIS MICADO ビールセット









名前の由来
フランス語に MICADOミカドという言葉はない為、「帝」なのではないかと創造します。