2018年6月7日木曜日

アンティークバカラ ピェ・ドゥファン BACCARAT SUR PIED DAUPHIN





19世紀末期のバカラのカタログに見られるドルフィン型ペデスタルのアイテムです。現物を入手したわけではないのですが最近綺麗な画像を複数入手する機会がありブログに追加することにしました。

1893年のカタログでは
2ページにわたり、このドルフィン型ペデスタルの器が掲載されています。他に現物画像にあるようにキャンドル、スタンドやランプなども製造されていました。




1893年のカタログページ




カタログページのタイトルはCoupes sur pied Dauphin直訳するとドルフィン型ペデスタル上 クープですがこれ、どう見てもドルフィン=イルカではありません。

フランスアールヌーヴォー期にはこの種のデコレーションの施された品物が他にもいろいろ製造されていたようで、フランスのアールヌーヴォースタイルとつい思いがちですが、これアールヌーヴォーの装飾の中でもジャポネスク・スタイルだったということを裏付ける資料を見つけました。

昨年ミラノの中央図書館での展示で見つけたフランスのアールヌーヴォー期の月刊雑誌 Le Japon Artistique (1888-1891年発行) 鯱 つまり「シャチホコ」の紹介ページ見つけたのです。実存しない空想の動物はきっと当時のフランス人の好奇心をそそったに違いありません。




シャチホコは日本では一般的に本来 は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを 織田信長が安土城天主の装 飾に取り入り使用したことで普及したといわれていますが、起源をさらに辿ればスタイルからも想像できるように中国から伝わってきています。中国語版ウィキペディアによれば中国の漢時代 (前漢 紀元前206年 - 8年と後漢 25年 - 220年)に宮殿屋根の尾根の両端に、火災を防ぐためにこのような形状の胸部動物を設置するようになったと言います。この奇妙な動物は中国古代の伝説の奇妙な鳥であると言う説と、海の魚の竜の9人の息子の1人であるとだとする二説に分かれます。 明と清の王朝では、大規模シャチホコが宮殿建設のために使るようになります。

日本語版ウィキペディアによれば日本へは仏教建築とともに伝わったようですが、大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされたました。建物 が火事の際には水を噴き出して火を消すといわれていますので、火事のお守りという意味合いは中国からそのまま伝わったことになります。


Photo©Terumasa
時代によって変遷してきた姫路城のシャチホコ