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今までずっとオステンデと呼んできたモデルは実はカオールという正式商品名らしいと分かったのが数ヶ月前。
カオールについて書かなければと思いつつ時間が経ってしまいました。
通称が正式名称と異なる例は他にもあり、一般的にリシュリューと呼ばれている品は本当はシャンピニー。通称アルハンブラは実は正式名称はブリュッセルという名です。
工業製品に通称がついてしまう、ということ自体が凄いと思いますがさらに通称の方が正式名称よりピンと来る品も多く、リシュリューやアルハンブラはオークションなどではそれで通してしまうこともあります。でもこのブログはできる限り正確な情報を掲載したいので、カオールについても書くことにします。
名前の由来
カオールはフランス南西部の川の蛇行に建てられた中世の街並みの残る町。位置的にはトゥールーズの北約100km、ボルドーの東約200kmと言ったら分かりやすいでしょうか。
335000年前から人が住んでいたと言われるの長い長い歴史を持つ町です。
街中心部
中世以降は経済的に衰退してし まい、18世紀には大学も失い、今では中世の街並みを味わう観光スポットとなっています。
また、アヴィニヨンで亡くなったローマ教皇ヨハネス22世(在位1316年 - 1334年)の出生地としても知られています。
百年戦争(1337 - 1453)中、この都市はしばらくイギリスの支配下にありましたが、カオールの領事たちはフランス王シャルル5世を支援することを誓い、「イギリスの支配下であっても、彼らはフランスの心を決して放棄しなかった」と宣言しています。
またこの町には、西欧で最も重要な巡礼地の一つ、サンティアゴ デ コンポステーラへの巡礼路の 1 つであるポディエンシス通りが通っていて、カオールの町の中世の象徴であるヴァラントレ橋は、サン ジャック ド コンポステール街道にあるユネスコの世界遺産に登録されています。
ヴァラントレ橋 Photo©MikeDicaire
別の角度から見たヴァラントレ橋
14 世紀から 16 世紀にかけて高い名声を博したフランス最古の大学の ひとつであるカオール大学は、17 世紀に閉鎖されましたが、 この町にはイエズス会の学校であるリセ ロイヤルまたはインペリアルから受け継がれた優れた中等教育施設が続き、これが後にリセ ガンベッタとなります。 この高校、そしてその前にはイエズス会の大学があり、何世紀にもわたって多くの有名人、法学者、詩人、帝国元帥、医学界の著名人、政治家、ジャーナリストなどを生み出してきました。
ヨーロッパではイエズス会系の教育施設というのはエリート教育で有名。
歴史が長いので詳細を書き出したらキリがなくなりそうですなので歴史に関してこの辺でやめます。
フランスの旅行や中世の建物、巡礼地などに興味のない方はカオールと聞いて最初に思い浮かぶのはワインかも知れません。
カオールは、非常にユニークな赤ワインの産地としてよく知られていて、旧制 ローマ時代帝国にも輸出していた程古くて有名です。当時世界中で高く評価され、街の重要な収入源となっていたそのワインは、イギリス人の支援を受けたボルドーのワインとの熾烈な競争にさらされます。
AOCカオールは、カオールを含むロット県内の45か村で生産される赤ワインで、 マル ベックというぶどうを70%以上使うことが義務づけられており、色合いは俗に「カオー ルの黒」(黒ワイン)と呼ばれるほど濃く、タンニンも豊富で長熟タイプのワインです。