2024年1月20日土曜日

アンティークバカラ ブリンディジ BACCARAT BRINDISI(ECAILLES)


アールデコスタイルのシェイプで鱗状のカットが施されたブリンディジと言うモデルです。


筒形タンブラーで非常に似たカットが施されているグラスはECAILLES(エカイユ、鱗の意、https://fr.wikipedia.org/wiki/Écaille)と呼ぶのでこのグラスも頻繁に同じ名前で呼ばれていますが、このアールデコスタイルのグラスシリーズの正式名称はBRINDISI ブリンディジというようです。




初入荷なのですが、鱗状のカットか炎が燃え立つようで写真で見るより一見とても繊細な魅力があります。

反面、カットを施すために薄造りではないので、あまり神経質にならず使えて便利そうです。



サイズ表



名前の由来


ブリンディジと言う言葉はイタリア語で「乾杯」という意味があります。


一方固有名詞としては、ブリンディジは南イタリアの古い歴史を持つ都市で、同名の姓を持つ有名人なども多くいて本当のネーミングの意図がどこにあるのかは不明です。

が、古い歴史を持つ町ブリンディジの名に由来していると考えるのが最も妥当だと思われます。


興味深い歴史上の人物、というのならブリンディジという姓を持つ海賊出身で貴族になったマルガリート・ディ・ブリンディジ。少なくとも文学作品上ではフランス王家とも関わりのある人物なので、その人物についても少しだけ書きましょう。



都市名としてのブリンディジ



イタリア、ブリンディジ市 鳥瞰写真


南イタリア、プーリア州にあるアドリア海に面した港湾都市で、歴史は古く青銅器時代、紀元前16世紀ごろから人が住んでいたと言われています。

地中海でも屈指の天然の良港を持ち、ローマ帝国時代から地中海の要衝として栄えました。


イタリア、ブリンディジ市の古地図


19世紀中盤にスエズ運河が開通して以降は、フランスマルセイユなどと並び、アジアヨーロッパとを結ぶ航路(欧亜航路)の発着地で、イタリアの代表的な港の一つです。

ブリンディジという地名の起源は、ラテン語の Brundisium に由来し、さらに古代ギリシャ語の Brentesion を経て、「鹿の頭」と訳される Messapic Brention から派生 (アルバニア語の bri、brî - pl. brirë、brinë「角」、「枝」、アルバニア語原語 *brina、*brena)。動物の頭の形を思い出させるように見える港の特徴的な形状にちなんで付けられたと言われています。

 


東ローマ帝国(ビザンチン帝国)西暦555年頃の領地地図



ブリンディジ港(レオン・ベネット画)

ジュール・ヴェルヌアドリア海の復讐』(1885年)の挿絵





一方マルガリート・ディ・ブリンディジという人物(およそ:1145ー1197)はビザンチンの海賊の出身ですが「海の王」と評価され、後にノルマン人シチリア王国の提督になり、マルタ、 ケファロニア島とザキントス島の初代伯爵ともなります。




マルガリート・ディ・ブリンディジ



シチリア王ウィリアム1世の婚外子マティーナと結婚しましたが、1194年の皇帝に対する一度目の陰謀では有罪でドイツ送りに、1197年の春の皇帝に対する二度目の陰謀がパレルモで発覚し、マルガリートはこの陰謀に関与していなかったにもかかわらず、濡れ衣をかけられ以降、行方不明となり、多分その後間も無く亡くなったと推察されてます。

英国人作家ロジャー・オブ・ホーヴェデンの年代記によると、1200年に盲目となったマルガリートはフランス王フィリップ征服王に仕え、彼は艦隊を集めていたブリンディジに向かう途中、その王の使用人によってローマで殺害されたと書かれていますが、この説は信憑性はかなり低いと言われています。



マルガリートとシビュラ、そしてヘンリー六世に対する共謀者とされる人々