2025年3月28日金曜日

アンティーク サンルイ パパン SAINT LUOIS PAPIN


1930年のカタログ見にられるモデルです。

上部の太めのリボンから下向きの花束がリピートされたフェミニンなエッチングです。





1930年のカタログページ




名前の由来


PAPIN パパンというのは人名で、ネット検索をすると有名なサッカー選手が最初にヒットしてきます。が、戦後の選手なのでこのグラスがリリースされた頃にはまだ生まれていませんでした。

そこでサンルイが意図したパパンは、フランスの物理学者で発明家であるドゥニ・パパン(Denis Papin 1647-1713)に由来していると仮定して書くことにします。



ドゥニ・パパン(Dice Papin 1647-1713)


パパンは圧力調理器の発明者、蒸気機関の原理の開発者として知られています。


フランス中部ブロワ近郊に生まれたパパンはアンジェの大学で医学を学び、卒業後パリに移住しますが数学や力学への興味が捨てきれず、翌1671年から、当時パリにいたオランダの数学者で物理学者クリスティアーン・ホイヘンスの助手となります。


その後1675年ロンドンへ渡り、ロンドン王立協会ロバート・ボイルの助手を務め空気ポンプを用いた種々の実験でボイルを補助しました。


1679年からは王立協会でロバート・フックの助手を務め、水の沸騰温度が圧力に依存することを発見し、圧力調理器 を発明して王立協会へ提出した調理器には安全弁がついており、パパンは安全弁の発明者としても知られています。


パパンのダイジェスター圧力調理器


1681年に彼はイタリアへ渡り、1684年までベニスの公立科学アカデミーの実験主任を務めます。

1687年からのドイツ滞在中にシリンダとピストンを用いた蒸気機関の模型を製作し、これはその後の蒸気機関の原理となりました。

蒸気圧力ポンプの計画

1707年まで続いたドイツ滞在後再びロンドンに戻り王立協会で再度職を得るよう望んだが、協会の財政的な苦しさから実現されず、王立協会に彼を正当に評価されなかったという強い不満を抱いたまま1713年貧窮のなかでロンドンで死去したと言われています。