ヴェネツィアのアート・ビエンナーレは2年に一回楽しみにしているイヴェントで、必ず最低2泊はして膨大な量の展覧会を見ることにしていて、今年も10月中旬に行ってきました。
私のガラス好きを知ってか知らずか、出発前に知人からジョルジョ・チーニ財団(で開催されている1912 ~ 1930 年のムラーノ ガラスの展覧会がとても良いのでぜひ見てる来るようにと勧められ、初日訪れました。
イタリアに住んでいながらこのブログで執筆しているのは、20世紀初頭のフレンチクリスタルが大半ですが、ほぼ同じ時期にイタリアでどのようなガラス製品が作られていたか一望できる機会は今までもほとんど無かったので、この展覧会の写真を掲載する事により、当時の最先端のムラーノガラス(ヴェネツィアングラス)をご紹介出来たらと、ブログ記事にまとめる事にしました。
*****
ガラスの歴史概要
展覧会の詳細をご紹介する前にガラスの歴史をざっとおさらいします。
ガラスは紀元前約3000年にメソポタミアで生まれ、紀元前7−6世紀にフェニキアに、さらにエルサレムと伝わり、ヨーロッパへは古代ローマ帝国へ伝わり、その後ヨーロッパ各地に伝わります。
ドイツで開発された吹きガラスの技術が完成洗練されたのは13世紀のヴェネツィアと言われていて、追ってヴェネツィアと当時密接な関係にあったボヘミアへと伝わります。
フランスはサン・ルイ、バカラなどのクリスタル産業を奨励する際に、ボヘミアから職人を引き抜きます。そういう意味ではフランスのクリスタル産業とは比較にならないほどの歴史があります。
そして、フランスのクリスタル産業が「工業化」したのに比較し、ムラーノガラス(ヴェネツィアングラス)は色々な意味で長い伝統に従って、工業というより「工芸」という路線を現在も継続、継承しています。
*****
<ジョルジョ・チーニ財団とレ・スタンツァ・デル・ヴェトロ(ガラスの部屋)>
今回の展覧会の企画展示はジョルジョ・チーニ財団(Fondazione Cini https://www.cini.it/)によるもので、チーニ財団は人文科学的な研究を目的とした非営利団体で、文学、芸術、音楽、貴重なアーカイブを所有するだけでなく多くの文化イベント、展覧会などを企画ししています。
ジョルジョ・チーニ財団はヴェネツィアの中心のサン・マルコ広場の向かいに位置する小さな島サン・ジョルジョ・マッジョーレ島にあります。
16世紀に、かのアンドレア・パラディオによって設計された端正な美しさのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂のある島です。
パラディオ設計 サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
ジョルジョ・チーニ財団箱の小さな島の中にあります。
ジョルジョ・チーニ財団の中にガラスの研究機関があり(https://www.cini.it/istituti-e-centri/storia-dell-arte/centro-studi-del-vetro) レ・スタンツァ・デル・ヴェトロ(ガラスの部屋、の意)というスペースでは常にガラス関連の展覧会が企画されていています。
過去には2016年に企画された「建築家のガラス・ウィーン1900−1937」という展覧会も、19世紀末にイギリスで起こったアーツ・アンド・クラフト運動の影響を受けたヨーゼフ・ホフマンのはじめとする「ウィーン分離派」の建築家達がデザインしたガラス製品の集大成はとても興味深いものでした。
https://lestanzedelvetro.org/mostre/il-vetro-degli-architetti-vienna-1900-1937/
<1912 ~ 1930 年のムラーノ ガラスとヴェネツィア ビエンナーレ展>
https://www.cini.it/eventi/1912-1930-il-vetro-di-murano-e-la-biennale-di-venezia
今年は1912 ~ 1930 年のムラーノ ガラス、特にその時期にアート・ビエンナーレで展示されたムラーノ ガラス作品に焦点が当てられれました。
1912 年というと、既に第十回目のアート・ビエンナーレで、芸術分野で国際的な注目を集めていたアート・ビエンナーレに展示、というからには、当時最先端の技術と意匠でで制作されたものであることは間違ありません。
なぜ特に1912 ~ 1930 年、第十回から17回ビエンナーレという期間に限りっての展示なのかというと、1903年のビエンナーレでは「内装」一部のエレメントとして展示されていたムラーノ ガラスが、1912 ~ 1930 年の期間は絵画彫刻などの純粋芸術、ファインアートの芸術作品に混じってガラス工芸品が展示されました。
用途のある「物」のデザイン、つまり応用芸術は当時はもちろんのこと現在でも「マイナーアート」というのが一般的な認識であるために、20世紀初めにガラス工芸が純粋芸術作品と同等に扱われた事に深い意味があるのです。
1932年以降はビエンナーレ会場内にヴェネツィア独自のパビリオンが作られたため、ガラスの展示はそちらで行われるようになり、ガラス工芸品は1970年代にはアート・ビエンナーレから姿を消す事になります。
展示のシークエンスは年代順ではなく、最後に動物系の作品をまとめ展示されていたのを除くと、作家、制作会社、工房別となっていて、各製作者が複数回出品していることがわかります。
このブログでの写真ほぼ展示のシークエンス通りですが、動物系の作品を含め、作家、制作会社、工房別。その中でさらにzì年代別に掲載します。
今回の展覧会の出品者:
ハンス・サン・レルシュ (Hans St Lerche)
ヴィットリオ・トーゾ・ボレッラ(Vittorio Toso Borella)
ヴィットリオ・ゼッキン (Vittorio Zecchin)
ウンベルト・ベロット(Umberto Bellotto)
V.S.M.カッペリン ヴェニーニ & C(V.S.M. Cappellin Venini e C)
グイド・バルサモ・ステラ (Guido Balsamo Stella)
フラテッリ・バロヴィエル Fratelli Barovier (Vetreria Artistica Barovier)
V.S.M.ヴェニーニ&C(V.S.M.Venini e C)
1912 ~ 1930 年頃のヴェネツィア
ハンス・サン・レルシュ (Hans St Lerche)
ヴィットリオ・トーゾ・ボレッラ(Vittorio Toso Borella)
ヴィットリオ・ゼッキン (Vittorio Zecchin)
1921
ウンベルト・ベロット(Umberto Bellotto)
1920-1922
フランスだとガラスと金属の2素材を使う時はブロンズか真鍮が一般的ですが、
高級工芸ガラスと錬鉄のマッチングがとても新鮮でした。
1924
1924
V.S.M.カッペリン ヴェニーニ & C(V.S.M. Cappellin Venini e C)
1921-22
ドローイング
1921-1922
1921-1922
1921-1922
現在も製造されているヴェニーにを代表する花器
ヴィットリオ・ゼッキンのデザイン
1921-1924
1921-1924
グイド・バルサモ・ステラ (Guido Balsamo Stella)
1928
バカラのジョルジュ・シュバリエの「ラ・シェス」
http://galleria-kajorica.blogspot.com/2016/07/baccarat-la-sieste-femme-dans-un-hamac.html
を思い出すようなカットとデザイン
ジョルジュ・シュバリエの「ラ・シェス」は1929年の発表ですから、
こちらの方が先になります。
1928
1930-31
フラテッリ・バロヴィエル Fratelli Barovier (Vetreria Artistica Barovier)
1928
1929-30
1929-30
V.S.M.ヴェニーニ&C(V.S.M.Venini e C)
1926
1927頃
1928
1929
デザイン:ナポレオーネ マルティヌッツィ(NAPOLEONE MARTINUZZI)
1929
1930
1930