2023年9月28日木曜日

アンティーク バカラ カオール BACCARAT CAHORS(OSTENDE)


 


サイズリスト



今までずっとオステンデと呼んできたモデルは実はカオールという正式商品名らしいと分かったのが数ヶ月前。

カオールについて書かなければと思いつつ時間が経ってしまいました。


通称が正式名称と異なる例は他にもあり、一般的にリシュリューと呼ばれている品は本当はシャンピニー。通称アルハンブラは実は正式名称はブリュッセルという名です。


工業製品に通称がついてしまう、ということ自体が凄いと思いますがさらに通称の方が正式名称よりピンと来る品も多く、リシュリューやアルハンブラはオークションなどではそれで通してしまうこともあります。でもこのブログはできる限り正確な情報を掲載したいので、カオールについても書くことにします。



1907年 カタログページ









名前の由来


カオールはフランス南西部の川の蛇行に建てられた中世の街並みの残る町。位置的にはトゥールーズの北約100km、ボルドーの東約200kmと言ったら分かりやすいでしょうか。

335000年前から人が住んでいたと言われるの長い長い歴史を持つ町です。

カオール全景


街中心部


中世以降は経済的に衰退してし まい、18世紀には大学も失い、今では中世の街並みを味わう観光スポットとなっています。

また、アヴィニヨンで亡くなったローマ教皇ヨハネス22世(在位1316年 - 1334年)の出生地としても知られています。


ローマ教皇ヨハネス22世


百年戦争(1337 - 1453)中、この都市はしばらくイギリスの支配下にありましたが、カオールの領事たちはフランス王シャルル5世を支援することを誓い、「イギリスの支配下であっても、彼らはフランスの心を決して放棄しなかった」と宣言しています。


またこの町には、西欧で最も重要な巡礼地の一つ、サンティアゴ デ コンポステーラへの巡礼路の 1 つであるポディエンシス通りが通っていて、カオールの町の中世の象徴であるヴァラントレ橋は、サン ジャック ド コンポステール街道にあるユネスコの世界遺産に登録されています。



ヴァラントレ橋  Photo©MikeDicaire

別の角度から見たヴァラントレ橋


14 世紀から 16 世紀にかけて高い名声を博したフランス最古の大学の ひとつであるカオール大学は、17 世紀に閉鎖されましたが、 この町にはイエズス会の学校であるリセ ロイヤルまたはインペリアルから受け継がれた優れた中等教育施設が続き、これが後にリセ ガンベッタとなります。 この高校、そしてその前にはイエズス会の大学があり、何世紀にもわたって多くの有名人、法学者、詩人、帝国元帥、医学界の著名人、政治家、ジャーナリストなどを生み出してきました。

ヨーロッパではイエズス会系の教育施設というのはエリート教育で有名。




カオール市の紋章


歴史が長いので詳細を書き出したらキリがなくなりそうですなので歴史に関してこの辺でやめます。


フランスの旅行や中世の建物、巡礼地などに興味のない方はカオールと聞いて最初に思い浮かぶのはワインかも知れません。

カオールは、非常にユニークな赤ワインの産地としてよく知られていて、旧制 ローマ時代帝国にも輸出していた程古くて有名です。当時世界中で高く評価され、街の重要な収入源となっていたそのワインは、イギリス人の支援を受けたボルドーのワインとの熾烈な競争にさらされます。

AOCカオールは、カオールを含むロット県内の45か村で生産される赤ワインで、 マル ベックというぶどうを70%以上使うことが義務づけられており、色合いは俗に「カオー ルの黒」(黒ワイン)と呼ばれるほど濃く、タンニンも豊富で長熟タイプのワインです。 


カオールワイン写真






2023年7月29日土曜日

アンティークバカラ コート アルテルネ デポリ BACCARAT COTE ALTERNE DEPOLIES



直系15cmの低脚ヴァージョン
低脚で小さいサイズでもテーブルに高低がつきテーブルセッティングでとても映えます。



通称コートアルテルネで親しまれているコート アルテルネ デポリ。

1893年のカタログ掲載されていて、1903年のカタログには見られません。

19世紀末の逸品です。

製品リリースから130年かそれ以上経っているのに古さを全く感じないタイムレスなデザイン。


クリスタルの鋳込みでやや肉厚のため丈夫なので経年数に反して比較的コンディションの良い品が多いです。


直径16cm(器内径15cm)の品を長年自宅用に使っていますが、食後に小さめのお菓子をサーブするときなどにとても出番の多いアイテムで重宝しています。

このアイテムブログに載せていなかったのでページを追加します。


カタログには3段のコンポートやマスタード入れ、塩入れなど多くのアイテムが掲載されていますが今まで入手したことがあるのはシンプルなコンポートのみ。リクエストで脚の高い直径25cmの物を仕入れた事があります。

ケーキを置きたいとのご要望でそのサイズのご希望でした。確かにそのくらいの直系があると、用途が広がりそうです。



アイテム名ですが、コートアルテルネ デポリ

コート=リブ

アルテルネ=交互に

デポリ=艶消し

「交互艶消しのリブ」という意味になります。

全く意匠通りのネーミングです。


自分用のものも含めて今まで3回しか入荷したことがないのでサイズリストは割愛しますが、昔のカタログにサイズのバリエーションも記載されていますのでご参考ください。

ちなみに自宅用に使っている品は外径16cmですがそのサイズはカタログにはないので器内径15cmということなのだと推察します。


現在アンティーク市場に出回っている品の印象としては直径20cm以下の品は比較的簡単に見つかりますが、25cm以上は稀で探すのに時間がかかります。


こちらは昨年リクエストで仕入れた直系25cmの脚ヴァージョン。


以下は1893年カタログページです。






 

2023年7月19日水曜日

ヴァルサンランベールの1905年アルザスワイングラス ヴァルトグラス カタログ・VAL SAINT LAMBERT 1905 CATALOG

ROMERをキーワードに検索をしていたら、ニューヨークメトロポリタンニュージアムの図書館が公開している、ベルギーの高級クリスタルブランド、ヴァルサンランベールの1905年のカタログが出てきたので、ご紹介します。


このカタログは使用頻度の高いテーブルサービス、つまりウォーターグラスワイングラス2.3サイズ、クープ又はフルートグラスからなる食卓セットではなく、カタログ前半がROMERとも呼ばれるアルザスワイングラス、後半がモンスター又はポカルと呼ばれるヴァルトグラスだけのカタログです。


カタログ冒頭カラー部分



1ページに8客掲載されているアルザスワイングラスは33ページ、1ページに4客掲載されているヴァルトグラスは19ページ。つまり何とアルザスワイングラス256タイプ、ヴァルトグラスは76タイプの意匠の異なる製品が1905年の1冊のカタログに掲載されています。



アルザスワイングラスのページ


ニッチなタイポロジーなのにモデル数がすごく多いので驚いて調べましたところ、1900年初め頃のヴァルサンランベールは最盛期で、従業員は約5000人に登り、1904年のテーブルサービスのカタログには192種のモデルが掲載されていて、毎日の製造数は16万品に登ったのだそうです。



一般公開しているので誰でも自由に閲覧可能です。


リンクはこちら:

https://libmma.contentdm.oclc.org/digital/collection/p16028coll13/id/9451


残念ながら同美術館のサイトにはテーブルサービスのカタログはありません。


アルザスワイングラスのページ



モンスター又はポカルと呼ばれるヴァルトグラスのページ




2023年6月24日土曜日

エミール・ガレ Émile Gallé I





エミール・ガレのガラス器、エミール・ガレに関しては一度には網羅しきれないので今回のブログ記事は「I 」とします。続きはいつになるかわかりませんが。


エミール・ガレというと濃厚なカラートーンのカメオガラスを連想する人が多いのではないかと思うのですが、個人的には19世紀末の濃厚な香りがするカメオグラスより(もちろんそれが好きだという人も多いと思いますが)、タイムレスなガレのエナメル彩のガラス器にとても惹かれます。


希少で単価が高いのでネットのみの販売、破損のリスクのある輸送、など諸々考えると転売用としては躊躇しざるを得ないアイテムです。




写真は今年の年頭のご挨拶にでも掲載したエミール・ガレのシリーズのエナメル彩のリキュールグラス。

昨年末に6客セットで購入した品です。値段がつけられず、転売の予定をしていないので「仕入れた」とは書けません。

直径53mm 高さ87mm満水容量50ml程度の小さなリキュールグラスですが、一客一客異なる手描きのエナメルが散りばめられています。


一つひとつ異なるエナメル絵付け



足部にも最低2種類のエナメル絵付けが入っています



本体にガレのサインはありませんが、このシリーズのクープグラスが2022年の初頭にフランスのオークションハウスでオークションにかけられていた際のオークションハウス説明によると「付け絵と同じエナメルでのガレのサインはないが、小さな紙のシールにガレのサインがある」とのことでした。

落札額は1客で1850ユーロ。仮にオークションハウスのマージンを30%として加算し、円に直すと1客35万円を超える事になります。


見惚れながらも私の扱えるような価格帯の品ではないので画像だけでもコレクションしておこうと、沢山撮ったスクショを保管していたのですが、年末に、サイン付き紙のシールのないリキュールグラスが売り出されたものを購入しました。


ガレのエナメル彩のグラスには、大半がエナメル(?)でサインが入っていてこのクープグラスの記述にあった紙のシールのサインというのがどのようなものか検証できないでいたのですが、先日イタリアのオークションハウスに出品された品物がサインなし、シール付きだったのでここにご紹介します。


右上がこの器についたガレの紙のシール



一般的なエミール・ガレのサイン I


一般的なエミール・ガレのサイン II


冒頭にも書いたようにエミール・ガレと言うとエナメル彩のガラス器よりカメオグラスを連想する人の方が多いかもしれません。骨董市場で出回る品もカメオグラスが多いことから、製造数も多かったのではと想像します。(あくまで想像)


ガレのカメオグラスは、オリジナルのものだけではなく、東欧でレプリカ品が多く作られていて、私の住んでいる北イタリアの古道具屋などでもレプリカ品はさほど入手は困難ではありません。


レプリカ品でもガレのサインが入っているのですが、本物のガレのものとレプリカ品がの見分け方は、東欧のレプリカ品はサインが器の上半分に入っているとどこかで読んだことがあります。(出典が見つかりません。。。失礼!)



こちらは本物のガレのカメオグラスとそのサイン I



こちらも本物のガレのカメオグラスとそのサイン II




カメオグラスの歴史は紀元前に古代ローマで生まれたと言われていて、紀元前30年とされていますが、カメオグラスの技術が開発されて以降19世紀に渡り古代ギリシャ、古代ローマ的なローマ時代のカメオグラス同様人物像がモチーフが中心でした。所謂カメオのブローチのようなものと言えば簡単に想像できると思います。


ローマ時代のカメオグラス

ガレが植物モチーフを導入するまでは

こういったローマ風のデコレーションが一般的でした。



カメオグラスへのガレの功績は、そこに19世紀末フランスで大流行していたアールヌーボースタイルを取り込み、植物モチーフを中心としたことで、イメージを一新します。



これを追随してバカラ やヴァル・サン・ランベールなども工業化された技術を利用して、植物モチーフの製品を量産するに至ります。

イタリア語ではバカラ のエグラティエなどに見られるエッチングによるモチーフの工業的プロセスによる削り出しはFALSO CAMEO、直訳して偽カメオ、と呼ばれています。英語では掘り出し部分を普通に「エッチング」と呼んでいる書籍が大半ですが、本場フランスでどう呼ぶかは調べていますがまだ不明。偽カメオというと聞こえが悪いのでエッチング カメオと呼ぶことにしましょう。




バカラ のエグラティエのエッチング カメオ

もちろんこれはガレの作品ではありません。






人、エミールガレ


アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家で陶磁器、木工家具デザイナーであったエミール・ガレについては書くべきことが沢山ありますが、ここでは簡単に経歴をまとめます。


エミール・ガレは1846年にナンシーで生まれます。ナンシーのあるムルト=エ=モゼル県は屈指のガラス、クリスタルの産地で。ドーム(Daum)本社がナンシーに、バカラ村も同県内にあります。


植物の遺伝と進化に関しても詳しく、かれか科学者にならなかったのは数学が苦手だったため、と言われています。エミールのスタジオのドアには「私たちのルーツは森の奥深く、苔の間に、泉の周りに。」というもっと描かれていたそうです。


エミールの父シャルルは繊細なエナメルがを得意とする画家でしたが、陶磁器とクリスタルの商人の家で育ったファニー・ライネマーと結婚後、オリジナル商品の製造販売を始め商業的にも成功します。


若い頃のエミールはドイツ語と鉱物学を学ぶためにドイツ、ワイマールに行ったり、ロンドンに滞在したりします。

1867 年に彼は万国博覧会に父親から引き継いだ会社の代表として出席します。

その後自然科学植物学への情熱からナンシーの博物学者であり医師であるドミニク=アレクサンドル・ゴドロンの弟子になったりもします。

またアンティーククリスタルの研究でパリに滞在した時期にアラブ風のエナメル祭の作風で知られるフィリップ=ジョゼフ・ブロカールや当時のフランス、ジャポネスクの旗手であったはウジェーヌ・ルソーに強く影響を受けたと言われています。




フィリップ=ジョゼフ・ブロカール作品例

アラブ風のデコレーションをかなり直接的に取り込んでいますが、その後バカラのシュバリエがフランス風に咀嚼したアラベスク模様を導入するのにはこういった作品が背景としてあるのかもしれない、と思わざるを得ません。

ブロカール作品は日本のサントリー美術館にも収蔵されています。

上のブロカール作品写真は以下のサイトから拝借しています。

https://www.makmaartgallery.com/content/feature/40/artworks-199-philippe-joseph-brocard-1831-1896-mamluk-style-enameled-and-gilded-blue-glass-basin-circa-1880/

https://www.invaluable.com/auction-lot/attribuee-a-philippe-joseph-brocard-a-paris-franc-26-c-f7d4c739a3





ウジェーヌ・ルソー作品例




ナンシーに戻った後は、ガラス技術の様々な新しい方法をを探求し、縞自然を模倣することに取り組んでいます。 1875 年にヘンリエット グリムと結婚。その後、1877 年、31歳の時に父親の事業を引き継ぎビジネスを発展させます。


1878年の万博に失点した作品は4つの金メダルを獲得し、その名は一躍世界的に有名になります。


1883年にはガラス工芸、陶磁器、木工のために広い工房を開き、多くの職人や芸術家がエミール・ガレのもとで働くようになります。


その後パリ、シカゴ、ミュンヘン、フランクフルト、ドレスデン、トリノなどフランス内外の様々な都市で展示を展開し、1889年のパリ万博でグランプリを得て、同年フランス最高の勲章と言われるレジオンドヌール勲章を授与されます。


その当時ガレの工房で働く職人や芸術家は300人に登っていました。相当な大企業ということになりますが、それでもガレはコラボレーた。に対し実際の花のモデルを目の前にせずに花を再現することを禁じていたと言われています。


1900年にはキャリアの頂点に至り、ガレ自身はグランプリ二個と金メダル、1898年からガレと仕事を始めたローズ・ワイルドの作品も銅メダルを獲得します。




少し脱線してこのローズ・ワイルドという人についても調べてみました。まず名前ですがローズ・ワイルド=野ばらなどと、まるでガレとコラボするための芸名かと思いましたが本名はローズ・レジーナ・フェルナンド・ワイルド、ですので本名です。1872年同じくナンシーに生まれ、ナンシー派の活動家の中で紅一点の存在で、受賞などで注目を集めましたが1903年行方不明となり、1904年に自殺して32年の短い人生を閉じます。



ローズ・ワイルドの淡彩画




ナンシー派の存在を確立されたと言われる1894年のナンシー装飾芸術展のポスター



1811年生まれのシャンパンメーカーPerrier-Jouët (ペリエ ジュエ)のボトルもエミール・ガレの意匠。1902にエミール・ガレに依頼したもので、ガレは日本アネモネをモチーフににデザインを考案、120年以上経った今ででも同じデザインで市場で流通しています。



Perrier-Jouët (ペリエ ジュエ)のボトル ©Perrier-Jouët


ガレは1902年にパリ国立美術協会およびいくつかの科学協会の会員になった後、1904年に死亡します。死因に関しては、職業病と結びつけようとする説が様々ありましたが、実証はできていません。


***


そのように受賞勲章とキャリア面では輝かしいガレでしたが芸術家であることで世界との接点を失ってはいけないと考え「美は単に表面的な快感であってはならない」と、不当な政治を訴えるために活動します。

またフランス人権連盟創設の 1 年後、1898 10 月にチャールズ・ケラーおよびヒポリット・ベルンハイムとともにナンシー支部を設立。

エコロジーの先駆者の一人でもあり、ナンシーの野生植物保護協会の設立に参加しています。


また当時大事件として扱われたドレフュス事件に関し、フランス陸軍内部に情報漏洩者として反逆罪で逮捕されたユダヤ系フランス人陸軍軍人アルフレド・ドレフュスの無罪を主張したことでナンシーの多くの市民から嫌われるようになり、会社の売り上げの暴落にまで影響します。その不人気はガレと彼の妻を見かけると人々が反対側の歩道に移るほどだったとさえ言われます。

ガレがそれほどの不人気になるほど擁護したアルフレド・ドレフュスは1899919日に釈放され、1906年に最終的なに免責を受けます。ガレの判断が正しかったわけです。