2025年11月26日水曜日

BACCARAT MARENNES FORME 8763 TAILLEGRAVURE N.9006 バカラ マレンヌ  フォルム8763 グラビュールカット9006



1900年代初頭のバカラ製品で最も美しいと言われるマレンヌです。

普遍的な美しさです。

もちろん美には大きく主観が入るのが普通ですが、日用品でありながら直線的なシェイプに施された優美な曲線のグラビュールカットが見事であることはどなたにも納得いただけると思います。








1907年のカタログページ



<名前の由来>


マレンヌ MARENNES とはフランスの地名。

スードル川の河口右側で成長したま ちで、現在は牡蠣の大生産地。県の重要な交通網の軸 のフランス西部の大西洋岸の街の名前です。




でもこんな素敵なグラスの名前になるくらいなら、それだけではなくて何か特別な歴史のある土地ではないかと調べてみました。



マレンヌの旧市街


歴史的には百年戦争ではイングランド軍から繰り返し攻撃され、町や教会を破壊されます。


経済的には16世紀頃から塩の生産や鱈漁として栄え、1702年にはサントンジュにおける海軍司令部が置かれた。貿易や王室の行政で富を集めた貴族やブルジョワが美しい門を備えた豪奢な邸宅が建て始めます。 1749年には現在も主要な観光スポットとなっている美しいゴトーディエール城が建てらます。 


19世紀初め、ナポレオン1世の フランス第一帝政時代に確実に衰退、第二帝政時代に牡蠣の養殖産業が始まると養殖業は急速に地元経済の主流を占め、古くからある 塩の湿地帯はカキ養殖場 に変わっていき、第三帝政時代には街の黄金期を迎えます。


ゴトーディエール城


その後19世紀に入り、ボルトガル種の牡蠣が疫病でほぼ全滅し、日本種牡蠣が取り変わった、などとの記述もありますが(ということはフランス、あのパリで食べた牡蠣は今では日本種ということに。。。。)、


、、、という感じで街の歴史を読んでもそういう産業のはなし話ばかりで、書いて楽しいような華麗な著名人物の話などは出て来ず、興味深いエピソードはなさそうだったのですが、ゴトーディエール城の歴史を調べたてみましたら、ちょっと関係がややこしいのですが、歴史上の著名人物が登場してきました。


ゴトーディエール城の建設は国王付技師フランソワ・フレノー(1703-1770)でフランソワ・フレノーの孫娘は、1794年に、後にイタリア軍、当時は大陸軍の工兵隊を指揮する将軍となるフランソワ・ド・シャスルー・ローバと結婚したため、ラ・ガトーディエール城はミュラ・ド・シャスルー・ローバ家の所有物となりました。

その後、マグダレーヌ・ド・シャスルー・ローバ侯爵 は、1923年にアシール・ミュラ王子 と結婚します。


このアシール・ミュラ王子は、ジョアシャン・ミュラとその叔父であるフランソワ・ド・シャスルー・ローバ侯爵 (1904-1968) の曾孫にあたります。


ジョアシャン・ミュラとは、元々はホテル経営者11人の末息子として生まれますが、ナポレオンの遠征で活躍し貴族の称号を受け、美男でもありナポレオンの妹のパオリーヌと結婚し、後にフランス勢力内にあった現在はイタリアの、ナポリ王国と両シチリア王国の国王になります。



パリのオルセー美術館に収蔵されている

オーギュスタン・エメ・ジョセフ・ルジューヌが1877年に撮影した

マグダレーヌ・ド・シャスルー・ローバ侯爵写真 

側面やや後ろから撮った独特の構図で侯爵の雰囲気をよく出しています。

版権保護のため直接画像は転載はしませんがリンクはこちら。

https://www.musee-orsay.fr/fr/oeuvres/marquise-de-chasseloup-laubat-64490



現在のガトーディエール城オーナーの祖先ジョアシャン・ミュラ




ジョアシャン・ミュラの妻でナポレオンの妹

パオリーヌ・ボナパルトと子供達