2017年7月15日土曜日

アンティーク サン ルイ ディアマン SAINT LOUIS DIAMANTS


サン ルイのアールデコを代表するこのモデルは、シンプルなコーン型のカップとベースに施されたダイヤモンドカットが美しく、ベース部の意匠のモチーフからディアマン(ダイアモンド)という名前が付いています。
1933年リリースの当時のサンルイの主要デザイナーの一人Joseph Bleichner のデザインです。(1923年と記載する人もいますが様式から考察して1923年というのは少し早すぎると思われます)

個人的にはサン ルイのアールデコ期で最も好きなモデルです。
他のサン ルイ製品と比較すると異色ですが、他のメーカーの製品でもありえない。
ある意味とてもサン ルイらしい逸品です。


大切なディテール

以前から気になっていたアイテムで、今回初めて入手しました。
今回は日本酒用グラスとしてもオススメサイズのポートワインサイズとピッチャーのみです。





1948年のカタログ




名前の由来
名前はグラスの意匠そのものズバリの名前なので、名前の由来というよりは、ここではダイヤモンドにまつわるエピソードを書くことにします。実験で確かめられている中では天然で最も硬い物質で屈折率は2.42と高く研磨材として利用されています。
ダイヤモンドという名前は、ギリシア語の αδάμας(adámas 征服し得ない、屈しない)に由来します。

Photo©Mario Sarto



ダイヤモンドが初めに発見されたのはアジア(多分インド)でサンスクリプト語のダイヤモンドに関する詩などが残っています。ヨーロッパには初めてアレキサンダー大王(356a.c.-323a.c.) がアジア遠征から持ち帰り広がります。

人質にした古代ペルシャのダリウス三世の家族とアレキサンダー大王
大王が人質ダリウス3世の妻や娘を丁重に扱ったのは有名な話。
Justus Sustermans画
ダイヤモンドを初めてアジアからヨーロッパに持ち帰ったアレキサンダー大王



ダイヤモンドの石言葉は現代では「永遠の絆・純潔・不屈」を意味しますが、古代では永遠の愛という解釈の他に、ダイヤモンドを持っていれば女性の不貞を知ることができると信じていた人たちもいるそうです。

ローマ帝国時代の博識者プリニオ老は「ダイヤモンドを砕くには殺したばかりの山羊の血に浸さなければいけない」と言っていたとか。
バカラのローリエの項目でもプリニオ老の月桂冠の話をしましたが、現代の常識で言えば博識者というより、迷信家と言った方がいいのでは、と思ってしまいます。。。。

パラケルスス

またダイヤモンドについて書かれている古い文献によれば、ダイヤモンドの粉は猛毒で微量でも健康な成人を殺せると信じられていたようです。スイスの医師であり科学者、錬金術師、神秘思想家のパラケルスス(1493-1541)の死因には色々な説がありますが、一説によればダイヤモンドの粉末で毒殺されたとも言われていますし、イタリアの彫刻家ベンベヌート・チェッリーニも敵を毒殺するのにダイヤモンドの粉末を使ったというエピソードが残っています。


ベンベヌート・チェッリーニと作品


・・・・・・・・・・


世界には特に有名なダイヤモンドというのがいくつかありますが、その中でも最も有名なのは「持ち主を次々と破滅させながら、人手を渡っていく『呪いの宝石』ホープダイヤモンド(Hope Diamond)ではないでしょうか。『呪いの宝石』というだけでなく、フランスの王室とも深いかかわりあいがあるので大筋を纏めてみました。
、、、とはいっても、『呪いの宝石』の伝説は大幅に脚色しているようです。

ペンダントから取り外されたホープダイヤモン  Photo: 350z33


ホープダイヤモンド(Hope Diamond)は現在、アメリカを代表する科学、産業、技術、芸術、自然史の博物館群であるスミソニアン博物館の国立自然史博物館に所蔵されている45.50カラットのブルー・ダイヤモンドです。
紫外線を当てると、1分以上に渡って赤い燐光を発します。



このダイヤは9世紀頃インドの川で農夫に発見されたという説と、インドのダイヤモンド鉱山で掘り出されたという二説があります。

1668年インド - フランス間の先駆的フランス人貿易商 J-B.タヴェルニエがフランスに持ち帰り、王ルイ14世に売却。当時112と3/16カラットあったといいます。ルイ14世の指示でハート形にカットされ67と1/8カラットの宝石となります。

ハート形で無駄が出たとはいえ、相当な量のダイヤが残ったはず。残りはどこに行ってしまったのでしょうか。。。。
インド風衣装を着たJ-B.タヴェルニエ


「王冠の青」あるいは「フランスの青(フレンチ・ブルー)」「ブルーダイヤモンド」と呼ばれたこのダイヤは王の儀典用スカーフに付けられました。
1749年ルイ15世は、このブルーダイヤを自らの金羊毛騎士団用ペンダントに付け直します。

ルイ15世が作らせた「フランスの青」を含む金羊毛騎士団用ペンダントのレプリカ

1792年フランス革命中、窃盗団が王室の宝玉庫に侵入し、ブルーダイヤモンドを含む宝石類を強奪。丁度強奪が時効になる20年後の1812年イギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリアーソンがあるダイヤモンドを所有していたことが記録に残っています。

その後イギリス王ジョージ4世の所有になったという説もありますが、それを証明する文献は残っていません。

後にホープダイヤモンドと呼ばれるこのダイヤが実はフランス王家の「ブルーダイヤモンド」から切り出されたものであることは、ずっと後、今世紀に入ってから証明されます。


ヘンリー・フィリップ・ホープ

1824年ヘンリー・フィリップ・ホープの宝石コレクションとして記録され、その後ホープ家の数人の相続人の手を経て、1901年に売却。ロンドン宝石商、アメリカの宝石商、パリのソロモン・ハビブ、パリの宝石商、などの手を経て1910年パリのピエール・C・カルティエが買い取り。1911年カルティエはホープダイヤ宝石を装飾し直して当時のワシントンポストのオーナーのエドワード・B・マクリーン氏に売却。マクリーン氏の妻はアメリカの社交界の華エヴェリン・ウォルシュ・マクリーン。



ホープダイヤモンドを身につけたエヴェリン・ウォルシュ・マクリーン

その後相続人に、そして1949年相続人からニューヨークのダイヤモンド商ハリー・ウィンストンにが買い取りますが、ウィンストン、は売却せず各種チャリティーパーティーで展示するなどした後、1958年にスミソニアン協会に寄贈し現在に至っています。


1974年のホープダイヤモンド

「呪いの伝説」では特にダイヤの持ち主となったルイ16世と王妃マリー・アントワネットがフランス革命で処刑されたことや、ダイヤの名前にもなったホープ家の崩壊という事実の他は、かなり脚色され、実在したことを証明できない人々がホープ・ダイヤの犠牲者として描かれていますが事実としては疑わしい内容も多々です。

ギロチンで前の処刑されるマリーアントワネット

・・・・・・・・・・


ダイヤモンドの採掘は18世紀まで主にインドでおこなわれていて、その後ブラジルを初めとする南米でも見つかるようになり、1867年初めて南アフリカでも見つかります。


ロシア連邦サハ共和国のミールヌイのダイヤモンド採掘場
人類が掘った穴で世界で最も大きな穴の一つと言われています。



映画「この庭に死す」( La Mort en ce jardin 1956年)
の冒頭の南米のダイヤモンド採掘現場のシーン。

この映画はシュールレアリズムの巨匠ルイス・ブニュエル監督の幻の怪作と言われている作品です。
南米のダイヤモンド鉱山村を舞台に、癖のある人間たちが繰り広げるサバイバル劇。ブニュエル作品としては異色ですが、よくできた、なかなか面白い映画です。この直後からブニュエルは名作を発表し続けます。

日本では劇場公開はされていませんが、DVDでご覧いただけます。